おはようございます、satoです。
私は「なんとなくこれはうまくいくだろう」「成功できる自信がある!」というときに限って失敗することが多いです。
そして、その時の落ち込みようは半端ないです…(´・ω・`)
例えば、自信満々で挑んだ仮免試験で一度失敗するとか…。
特に経緯から「これは神様が共にしてくださっている!」と考えているときはなぜか何かしらうまく行かないことが多いです。
学生の頃奨学金申請をしたとき、一次書類審査をクリアしたことがありました。
その書類に書いた内容が御言葉をもとにしたものだったので、「あぁ、これは神様のことを証できるチャンスだ!」と考えました。
これが成功したら、神様のことをうまく証できる…と期待して二次審査に臨みました。
ところが、その審査では思うように自分のことを話すことができず、落ちてしまったのです…(´・ω・`)
余談ですが、「本当に大丈夫だろうか…」と考えているときは逆に失敗しません。
不思議ですが、自分が成功できるイメージのできないものやそもそも成功することを考えていないことがうまくいきます。これはなんででしょうかね…(´・ω・`)
では、「成功しないこと」が神様の御心か、というとそういうわけではありません。
もちろん、それが成功することによって自分に害になる場合、そのときは神様が止めてうまく行かないようになさいます。
しかし、そういうことでなければ基本神様は「私たちが良くなるように」予定されています。
たとえば、摂理の御言葉を聞いて自分が救われること…これは神様が絶対成されるように予定されました。
このように神様が予定したことを「絶対予定」と言います。
今回の仮免試験も奨学金のことも、そのほかのことも基本は「自分にとって必要なこと」なので神様は「うまく行くように」予定されているはずです。
ところが、神様の御心が成されるかは人間側、つまり私の行いにかかっています。
このように、すべてのことに「自分たちの責任分担」がある、というのが相対予定です。
私の場合「神様が共にしている!」と考えていますが、その一方で「失敗したらどうしよう…」という不安も抱えていました。
私が失敗したときはこの不安が大きくなって緊張・パニックに陥り、思うように身動きができなくなっていました。このことによって神様の予定がうまく行かなくなるのです。
…こう考えると「神様がうまくできるようにしてくださったのに…」とショックを受けることもあるかもしれません。
私はかなり受けていました(´・ω・`)
しかし、神様は「失敗を成功に変える」方であるので、その失敗を機会にもっと良い方向に変えてくださいます。
仮免試験の失敗を通して「神様に失敗したことを率直に告げればいい」ということがわかって関係を深められたように。
そういうわけで、「私たちが救われ、成功する人生を歩む」というのは神様の絶対予定なのですが、それを実現できるかは私たちに掛かっています。
神様が成功するように予定したのは私たちへの愛ゆえ。
その愛に応えるべく、私たちも日々頑張っていきたいですね。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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