サイトアイコン 摂理研究所/キリスト教福音宣教会

摂理の御言葉を聞く上で大事な一つのこと。

こんばんは、satoです。

今日御言葉を聞きながら、「本当に大切だなこれ」と思ったことを一つ共有します。

それは

摂理の御言葉は、世の中の話とは違う

ということです。どういうことか、と言いますと…。

世の中の言葉は、基本「世の中のこと」について話します。たとえば、学校の授業なら学問について、ビジネスの本ならビジネスの方法、メンタルの話ならメンタルについて…というように。
その話はその問題を解決するために話されるのです。

そのように、摂理で話される御言葉は「神様のこと、信仰のこと」について話されます。
ここで注意が必要なのは、信仰の話は基本世の中の問題の解決のためにあるものではない、ということです。
御言葉を聞くのは「神様のことを知るため、信仰生活をするため」なのです。

だから、御言葉を聞くときには「世の中のこと」を忘れて聞いたらいいです。そうしないと、結構こんがらがります。
たとえば、勉強や名誉、お金、恋愛の問題を解決しようとして御言葉を聞くとむしろつまずきます。私がそうでした(-_-;)
私も結構「世の中で成功したいな」とか考えながら聞いてたことがあったのですが、御言葉でむしろ叱られます(笑)

もちろん、神様のことを知ることで世の中の問題が解決されることも確かです。
少なくとも私は名誉、学問、恋愛の問題は解決された、と言えます。
ただし、それは私が考えていた、あるいは常識とされている形とは異なるものですが。
また、信仰を持ちながら世の中で生活するので、摂理の御言葉では世の中の話もちゃんとします。たとえば、「神様のことを考えて、しっかり勉強しなさい」とか、「自負心を持って仕事をしっかりしなさい」とか、「ちゃんとご飯も食べ、運動もして健康を保ちなさい」とか。

大事なのは、御言葉は「神様について知る」ためにあることです。どんなことでも神様のことを知ってするなら、喜び、希望です。
それを踏まえて、「神様ってどんな方だろう?」って考えながら摂理の御言葉を聞いてほしいなって思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
モバイルバージョンを終了