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私が「発達障害の傾向にある」と知った経緯

こんばんは、satoです。

今日は「私が発達障害の傾向にある」と知った経緯について簡単に書きたいと思います。詳しく書こうとすると一日で終わらないので簡潔に(笑)

あ、ところでいつも傾向を持つ、と書いているのは「確定診断を受けていない」からです。
診断を受けるには親の所見を聞く必要があり、それが少々私にも親にも負担だったためそこまではしていない、というわけです。

私が発達障害の傾向を持つことが発覚したのは、発達障害の診断を受けた摂理の人と対話する中でした。
その方が「発達障害に関する本を読んでみることを勧めます」と言われたことから、自身の傾向について知るようになりました。

私は小学校の時からいろいろな問題にぶつかってて、大学に来た時には私の心について色々考えるようになりました。特に「やる気が逸れる」とか「思ったようにすべきことができない」、そもそもやる気が出ないし、考える力が弱い…。
こういった心の問題があって「自分には何かあるのでは?」と考えるようになりました。

摂理に来る前後でさらに様々な壁にぶつかっていた私は、この方が書いたブログを読みました。そこに自身の発達障害に関する経験が書かれていて、「自分には何かがある」と思っていた私はその記事を読んで「自分が発達障害なのでは?」という考えを持つようになりました。

この方と直接お会いした際、最初は「メンタル面における質問(特に自分の心の問題)」の相談をするために一対一で話をしました。
ところが、そこで「自分がよく起きること(たとえば、ちょっとつまずくとすぐに集中力が切れるなど)」について話が合い、その結果発達障害に関する話を勧められたのです。(自分が発達障害なのでは?という話は自分からはしませんでした)

その後、摂理にいる精神科医さんとも話をしたり、自分でも病院に行って診断してもらいましたが、いずれも「ADHDとPDDの傾向にある」という話でした。というわけで、確定診断ではないものの、自分は発達障害の傾向にあると考え、生活をすることにしました。

今にして思えば、自分の物事に対する認識観や人間関係、また興味関心の高さ、空想におぼれ現実感が弱いなど…なんか「人と違う」というところはいっぱい感じていました。
また、親、特に母親も自分がちょっと特殊だということは感じていたようです。

私はずっと自分の心に悩まされていました。
しかし、その原因の一端が発達障害、という私の偏った傾向にあるということが分かってスッキリしましたし、心の問題を解くうえで大きな糧となりました。
こうして自分の心の特性に気づけたのも、神様のおかげです。
神様が必要な方を送ってくださり、その人を通して必要なサポートを受けられるようにしてくださいました。それによって、心の問題が一つ一つ解かれるようになったわけです。
本当に感謝します(*´ω`*)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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