サイトアイコン 摂理研究所/キリスト教福音宣教会

「優しい世界」を作りたい。

こんばんは、satoです。

私は昔から、争い事が好きではありません。
だからか、悪口を聞くと心がとても痛いです。悪口の奥底にある「攻撃する心」というものを感じるから。
摂理に来てから、人に対して怒ると、霊的には殺人をしていることと同じだという話を聞いたのですが、そのことがよくわかります。

ネット上の<腐ったリンゴ>―摂理のユートピアだより

上の記事にもありますが、最近のネット社会を見ると「批判」がとても多いように感じます。
何か過ちを犯した(であろう)人に対して、容赦ない悪口が書かれるということが続いています。時には、その過ちが些細なことであったり、過ちを犯した、という話が間違いだった、ということだってあり得るわけですが、それにも関わらず悪口が書き込まれています。
時にはそれによって、命を失うこともあり、そうでなかったとしても「社会的抹殺」をされることもあります。

時には、私が好きなものを批判、悪口されているのを見る時だってあります。
もちろん、それを見なければいい、という話ではありますが…。
やはり、自分が好きなものを悪く言われていると、まるで「自分を否定されている」ように感じます。たとえ、私が記事を見なかったとしても、そのタイトルだけで傷つくことだってあります。

また、時には自分が情報を知りたいとネットを使って検索することもあります。たとえば、憲法9条とか。
しかし、ネットで検索して出るのは9条が如何に問題を起こしているのかという批判と9条を変えようとしている人に対する批判ばかりで、そもそも9条とは何か、どのような背景でできているのか、など中立的で客観的、言い換えると「ちゃんと理解できる」ものがありません。
これは政治関連の話とかSTAP細胞関連の話を調べようとするとよく出てきます。正直、「間違っている」とか「正しい」とかいう主張より「それが何なのか」自分で考える材料が欲しい、という人は多いと思うのですが…(´・ω・`)

ちなみに、これは批判だけでなくたとえば「羽生選手が300点突破!」とかいういいニュースでも同じことが言えるんですよね。
「何がどうすごいのか」具体的な内容より、人物像とかコメントとか、そういうところが多くて…。嬉しいことなのですが、もっと「フィギュアスケートとは?」みたいなのが具体的にわかるような話があれば…と思うことはあります。
(この点、海外のニュースはもっと中立的、かつ詳細に内容に踏み込んでいてとてもいいです。英語ができれば…)

少し話が逸れましたが…「批判」が多い世の中。
少しでも「許し」てあげれば、もっとお互いに生きやすいのに…という気もします。そういう「優しさ」が欲しいです。
このように思いながら、文章を書いた後祈る中で、

このような言葉を聞いて、神様がどれほど心を痛められているのか

主はどれだけ心が痛かったのか

を感じて、本当に涙が止まりませんでした。どうにかして神様を慰めようとお祈りをしていました。とにかく愛を…と思って。
自分の心が痛い、ということよりとにかく神様のことが…。

そういう心はありましたけど、横になっているうちに眠ってしまいました。
そして、次の日の明け方にこんな御言葉を聞きました。

新郎のために行うなら、

「新郎の立場で」さまざまなことを考えてみなければならない。

そうしてこそ、新郎が何を本当に願っているのかが分かるのではないか。

主のために行うと言うが、自己満足の愛が多い。

自分の立場で一つのことだけを考えないで、

主の立場でさまざまなことを考えて

主のための生を生きる人が、

真の引き上げられた新婦の生を生きる人ではないか。

相手の立場に立って考える。

まさに先ほど書いていたことが伝えられていました。
愛する人の立場に立って考えなければ、たとえ相手が好きだとしても、相手のためにやったことだとしても、それは相手を傷つけることになります。
「その人を本当に愛する」なら、その人のことをたくさん見て、たくさん観察します。より正確には「自然と、気が付いたら」たくさんじっと見ているようになります。
そうするうち、いつの間にか相手が何を願っているのか、相手の動向、心情を感じられるようになります。
それこそが「自分を捨てた状態」と言えるでしょう。

自分を振り返ると…自分もまだまだ「優しさ」が足りないなと思う時があります。
たとえば、バイトの後輩に指導するとき少し遅いと「早くしてほしい…」と少しイライラしてしまったり。
たとえば、時間がない中で学生に勉強を教えるとき、「早く終わってほしい…」とほんの少し思ってしまったり。
心から喜んで、愛で接せていないときがまだまだ多いです。

「優しい世界」。
優しい、というのは何も「怒らない、相手に譲ってあげる」ということだけを意味しません。
時には叱る必要もあると思います。時には自分を守るために主張する必要もあると思います。
だけど、その中に必ず「相手のことを想う心」がある。それが本当の優しさだと思うのです。

「優しい世界」を作りたいです。
そのためには、まずは私から「相手のことを想って」優しく接するところから始めたいです。
そして、私の中から始めて、いつかすべての世界が「互いを想える」世界に変わってほしいなって切に思いました。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
モバイルバージョンを終了