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「話す」ことだけが祈りでない、核心は心がどこに向かうかだ

おはようございます、satoです。

私の記事を見ると分かるように、私の信仰生活では「心にいろいろ溜まっている」状態の中もがいています。
その状況を打開するために、御言葉を読み返しながら自分の思ったことを書いていくということを実践してみました。

お祈りするときも自分の気持ちを打ち明けることを基本としていましたが、祈りの時だとどうも自分の感情が出たりしてうまく神様の心情を受け入れることが出来ないときもあります。また、話したいことが溜まっていると、それをそもそも言葉にするのも難しく、さらに口を動かす動作に慣れていないためか全部は話せなかったりします。
これが心に溜め込む原因の一つかもしれません。

書いてみて気づいたのですが、書くとそのことを冷静に見れたり、感情部分もすぐに書き込めて、整理もできるので割と効果的でした。自分の躓いているところ、ぶつかっているところ、誤解しているところが見えてきて、それに対して神様の御言葉はどうなのか、それも書いて、祈るべきところ、実践すべきところが見つかってきました。
これをさらに整理すれば明け方に祈るときにもっと効果的に祈れそうです。しかも、今週の御言葉に沿って祈るので、より神様のときに合いやすい。これはいい方法かもしれません。

私の場合、単に読み返すだけだと自分が話したいこと、思ったことが出てしまい、それをすぐに消化しないとその後に進めないということになりがちです。ちなみに、これは御言葉を聞いている時も同様で…^^;
そういう意味でも、このようなフィーリングで書く形式の対話方法はとても良いように感じます。

個人的にはこれも祈りの一つの形のように思います。
もちろん、口に出して対話する方法が一番なのですが、それがうまく出来ない時は方法を変えるほうが良い時もあります。
自分が伝えたい思いはある、だけどそれがうまく言葉に出来ない。
そういう時には、時には賛美し、時には手紙に書き、時には運動をし…それぞれに合った方法があると思います。
どのような方法であれ、核心は心が神様に向いているのかです。神様に伝えたい!と思ってしているすべてのことが祈りになります。そして、神様の答えを受けたら、それが対話になります。

皆さんも、自分と神様の対話方法を模索してみてはいかがでしょう?
私は書く方法が良さそうに感じたので、しばらくこれを続けてみようと思います(^^)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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