罪。それは「生きるための法則から外れる」こと。
こんばんは、satoです。
2015年11月1日主日の御言葉は「罪は悔い改めでのみ解決できる」でした。
ここで罪についてハッキリと教えて下さいました。
そもそも、御言葉とは神様の法ですが、これを言い換えると
自分が存在するための法則
です。たとえば、道路を時速200kmで走ったら、普通は事故に遭いますよね?だから、いくら道路標識がなくても
車のスピードはある程度抑える
ものです。これが「存在の法則」です。で、これから外れることが罪です。罪を犯していると、いつ死んでもおかしくない状態、というわけなんです。
ところで、摂理の御言葉って…かなり厳格で精密です。行いや考えにとどまらず、霊や魂体まで見て話されますから…。でも、これにも理由があるのです。
どうして御言葉が厳しいのか。それは
神様が願われる本来の生、自分が本当に生きる生を生きるため
です。残念ながら、今の世の中はこの御言葉を守るのには大変な環境です。言い換えると、世の中が神様の願う生からかなり乖離している、というわけです。
しかし、たとえ世の中がそうであっても、神様の法、存在するための法則は変わりません。
それから外れたことをしたら、どんなところにいたとしても、苦痛と困難に陥ります。
ダビデの話から、罪について考える。
今日は罪を犯すことが如何に危険であるか、聖書のエピソードを通して紹介したいと思います。
聖書に親しみのない人でも、ミケランジェロの作品を通して名前を聞いたことがあるであろうダビデ。
ダビデは神様の前に正しい道を歩んだ王様として聖書に書かれています。
しかし、彼はただ一つ罪を犯しました。
それは
自分の部下の妻に一目惚れし、一晩を共にして、それを隠すために最終的には部下を計略的に殺してその女性を自分の妻とした
ということです。端的に言えば異性の罪、それもかなり深刻なものです。詳細はサムエル記下11章を参照ください。
ダビデはすぐに悔い改め、その罪を許されました。しかし、その代償として、バテシバとの間の子が死んでしまいます。そして、このような預言がされました。
12:10あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう』。
そして、その後に起きたのが、ダビデの息子アブサロムの反乱です。神様が話したとおりになりました。
ところで、この事件の経緯をもう少し分析すると、実は反乱の発端がダビデの犯した罪と深く関連しているということがわかります。
アブサロム反乱の発端となる事件。
13:1さてダビデの子アブサロムには名をタマルという美しい妹があったが、その後ダビデの子アムノンはこれを恋した。
アブサロムには妹タマルがいましたが、彼女にアブサロムの兄であるアムノンが恋をした、というのが事の始まりです。ちなみに、アムノンとアブサロムは腹違いの兄弟です。
3:2ヘブロンでダビデに男の子が生れた。彼の長子はエズレルの女アヒノアムの産んだアムノン、 3:3その次はカルメルびとナバルの妻であったアビガイルの産んだキレアブ、第三はゲシュルの王タルマイの娘マアカの子アブサロム、
タマルはアブサロムと同じ母親の生まれです。さて、タマルに恋をしたアムノンは友達の言葉に従い…
13:11タマルが彼に食べさせようとして近くに持って行った時、彼はタマルを捕えて彼女に言った、「妹よ、来て、わたしと寝なさい」。
事もあろうに、
13:14しかしアムノンは彼女の言うことを聞こうともせず、タマルよりも強かったので、タマルをはずかしめてこれと共に寝た。
異性の罪を犯しました…。それも、強姦という、非常に深刻な。
13:15それからアムノンは、ひじょうに深くタマルを憎むようになった。彼女を憎む憎しみは、彼女を恋した恋よりも大きかった。アムノンは彼女に言った、「立って、行きなさい」。
しかも、その後彼女を憎んで追い出してしまいました。これにより、心に深い傷を残したタマル。それを聞いたアブサロムは…
13:22アブサロムはアムノンに良いことも悪いことも語ることをしなかった。それはアムノンがアブサロムの妹タマルをはずかしめたので、アブサロムが彼を憎んでいたからである。
アムノンを殺そうと決心しました。そして、最終的にはアムノンを殺害、アブサロムは逃亡しました。
その後、ダビデはアブサロムをエルサレムに連れ戻します。しかし、アブサロムは反乱を起こし、ダビデは国から追い出されることになりました。
アムノンの罪とダビデの罪
このように預言は成されたのですが、よく見ると、そのきっかけは、アムノンの異性の罪でした。
ダビデが犯したのも、夫がいる女性と不倫し、その夫を殺して自分のものとした、という異性の罪。アムノンはこのときすでに産まれていましたが…果たして、それを知らなかったのでしょうか?
もしかしたら、
父親がそうするならば…
という考えが心の奥深くにあったのかもしれません。それで、タマルに恋した時に、友達の言葉を聞いて、強姦をしたのかもしれません。
もちろん、これ自体は推測に過ぎませんが。
これを通して親の罪が子にも影響を及ぼすということがわかります。そして、それが自分にも帰ってくるのだということも。
神様の法というのは…
神様の法とは、自分が良く生きるためにあります。これは自分だけでなく自分の子供、周りの人、もっと言うと民族、世界にも影響をします。世界全体も人間一人一人が集まって成されているものですから。
結局、自分の子供がよく生きれば、自分ももっと嬉しいでしょう。
自分の周りの人が幸せなら、自分も幸せでしょう。
自分の民族が栄えれば、自分の生活も楽になります。
世界が平和であれば、自分の生も安心です。
これを成すことができる唯一の方法。それが
神様の法の中で生きること
なのです。
ところで、摂理の御言葉の中でも一番厳しいのが愛の法、異性の罪に関してなのですが、聖書を深く読んでみると、その理由がわかる気がします。
多くの人物、それも神様側の人物が異性の罪を犯すことによって、本来の御心通りに生きられず最悪破滅に至るのですから…。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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