おはようございます、satoです。
摂理人として生きる私がほしいと思っているもの、それが「リーダーシップ」です。
それをどうやったら得られるのか、今日は「理想のリーダー像」について考えたことを書いていきます。
で、そのきっかけですが…。
選挙直前に、集団的自衛権が「どのような流れで」作られたのか、その狙いについて(摂理で鍛えられる「分析力」を使って(笑))記事を書きましたよね。実は、この記事を書きながら私自身「集団的自衛権」について感じたことがあったので、それについて書こうと思ったのですが。
よくよく考えたら、この話には「リーダーとして必要なもの」が込められることに気づきました。なので、集団的自衛権の話と絡めて、摂理人として感じた「理想のリーダー像」について考えを進めていきます。
…ところで、摂理人が「リーダー」って聞いたら、思い浮かぶ人ってだいたい一緒なんです(笑)
そう、摂理の創成者である鄭明析先生です。それはどうしてでしょうか?
リーダーに求められるものはたくさんありますが、その一つに「確固とした思想、方針がある」ことがあります。
鄭明析先生は基本その思想にブレがありません。「ただひたすら神様」です。
ひたすら神様の御心を成すべく、私たちを導いています。そのために、私たちに「その目的」をはっきり教え、摂理全体が神様の願いを成せるように日々教育してくださっています。
だから、鄭明析先生は何をするにもまず祈ります。そして、聖書をたくさん読んで、聖書に基づいて摂理で起こる様々なことを判断しますし、聖書をもとにして摂理全体に御言葉を伝えて下さっています。
本当に、ブレがありません。神様がダメだって言ったことはしないし、しなさいと言ったことはします。
というわけで、私も「集団的自衛権」について考えながら浮かんだ聖句について書きたいと思います。…摂理に来て鄭明析先生から御言葉をたくさん聞いたからか、何かを見るたびに聖句や摂理の御言葉が浮かぶことが多くなりましたね。
私が集団的自衛権についていろいろ考えるうちに浮かんだ聖句が、こちら。
歴代史下28章20-21節
アッスリヤの王テルガデ・ピルネセルは彼の所に来たが、彼に力を添えないで、かえって彼を悩ました。 アハズは主の宮と王の家、およびつかさたちの家の物を取ってアッスリヤの王に与えたが、それはアハズの助けにはならなかった。
これは今から約3000年くらい前、南ユダという国があったころの話です。この国は多くの国に攻められ、国防の危機にあったとき。アハズは南ユダの王です。
彼は国の危機の時に、隣にいるアッスリヤという大国に自分の国の宝や神殿にあった金銀などの神様の捧げ物を渡しました。ところがアッスリヤはむしろ南ユダを攻撃したわけです。
これって、前回書いた日本の状況と重なるところありませんか?
アメリカとの関係によって近隣国からの脅威が守られているように見える日本。
そのアメリカに合わせるために、日本の大切な宝の一つである「平和主義」の理念を変えようとする。宝をアッスリヤに貢ぐ南ユダと重なります。
平和主義の理念を守る「憲法9条」は「神様が日本に与えてくださった宝」だと私は感じています。実際、この憲法の理念は熱心な信仰者であり、思想家である内村鑑三が提唱したもの。神様が彼を通して働いたのだと思います。
日本がこれまで守られたのは「アメリカとの関係」のためだ、と書きましたが、私自身はそれ以外にもあると考えています。それは平和主義を提唱し、それを守ってきたことを見て、神様が戦争にならないように働かれたということ。
摂理の御言葉で「神様は平和を成すところに働かれる」と学びました。
だから、戦争から反省し、各国の平和のために様々な経済支援をしてきた日本のその行いを見て神様が守ってくださったのではないか、と私は思っています。
そう。だからこそ。
私は「集団的自衛権」を使えるよう法律を変えるべきではないと思っています。
理想のリーダーの話に戻りますが、先ほど書いたようにリーダーとして必要なのは「確固とした信念」です。芯となる信念は曲げてはいけない、その信念に殉じる、というくらいの強い心でなければリーダーはやっていけないと感じます。
鄭明析先生に限らず、摂理のリーダーと呼ばれる方々も本当に精神が強いし、信念を持っています。
先ほどの聖句には続きがありまして。
南ユダのアハズ王は神様を信じず、他の国々の神々に仕え、助けを求めましたがその甲斐なく死んでしまいました。そして、その息子であるヒゼキヤが王となりました。
このヒゼキヤは神様を熱心に信じる人となり、「神様が助けてくださるなら」とアッスリヤとの同盟を解消、税を納めませんでした。これに怒ったアッスリヤは大軍を送り、南ユダを攻めました。
「神様を信じて何になる。お前の神が私達からお前を守ると思うのか。」
こう言われ続けましたが彼の心は揺れず、アッスリヤから言われた「神様を冒涜する言葉」をすべて神様に告げて涙で祈りました。そして…
歴代史下32章21-22節
主はひとりのみ使をつかわして、アッスリヤ王の陣営にいるすべての大勇士と将官、軍長らを滅ぼされた。それで王は赤面して自分の国に帰ったが、その神の家にはいった時、その子のひとりが、つるぎをもって彼をその所で殺した。 このように主は、ヒゼキヤとエルサレムの住民をアッスリヤの王セナケリブの手およびすべての敵の手から救い出し、いたる所で彼らを守られた。
神様は大軍を打ち、一人もエルサレムに入ることなく倒しました。
このように、神様はヒゼキヤを守られたのです。
大軍を見、多くの誹りを受けてもその信仰を揺らさなかったヒゼキヤ。
この精神が、鄭明析先生と重なります。
このような精神が、今の日本、そして世界に必要だと私は思います。
ということで!私も神様への信仰、そして愛と自分の行いをブラさないように作っていきたいと思います!
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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