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「三位一体論」から三位一体について真剣に考えてみた。

おはようございます、satoです。
今日は久々のBSネタです。
今日は「三位一体」について考察したいと思います。

ところで…皆さん、これ読めますか?
「さんいったい」です。「さん」ではありません。高校の倫理辺りで出ていると思うので、たぶん知らない方はいないのではないかと思います。
三位一体、キリスト教では「神である神様と人間であるイエス様、そして聖霊が一体となっている」と教えています。神様が地上に来るときに「イエス様」の姿になって、その後「聖霊」で心に働かれる…といういわゆる「様相論」は実は異端の教えで、本来は「神様・イエス様・聖霊は一つの神の3つの位相」ということだとか。…ごめんなさい、よくわかりません。

それはそれとして、この三位一体という言葉は現在多くのところで使われています。
たとえば、小泉純一郎元総理大臣が提唱した「三位一体の改革」。
これは3つの改革、すなわち「国庫補助負担金の廃止・縮減」「税財源の移譲」「地方交付税の一体的な見直し」のことです。このように「3つのことが一つとなる」ということを指して「三位一体」と言います。

でも、一体「一体」とはどういう意味でしょうか?
最近は「なにかと一体になった」カフェが出ているようです。
自然はもちろん、羽田空港では「プラネタリウム」と一体になったカフェ。アメリカには「床屋」と一体になったカフェがあるのです。
…しかし、いくら一体になってると言っても「カフェの中が自然そのもの」とか、そういうことはありません。ちゃんとカフェはちゃんとカフェであります。床屋ゾーンとカフェゾーンが分かれています。
こう見ると「一体」というのは本当に一つのものなのですが、カフェはカフェ、床屋は床屋としてあるようにそれぞれのものははっきりと分かれて存在しているといえます。

そうなると、先ほどの三位一体も「神様、聖霊、イエス様」ははっきり分かれている、と考えるのが自然な気もします。…果たして、三位一体とはなんなのでしょう?今日もしっかり悟ろうとこのことを考えるのでした。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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