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摂理と「祈りの貴重さ」~鄭明析牧師の明け方の箴言から~

‐どうして祈りが必要なのか?それは、私たちが「天の考え」で生きるためだ。‐

天国に行くためにも、私たちが神様を愛するためにも、ひたすら私たちの考えの次元を上げなければいけません。
もっとも高い次元の考えとは、「天を中心にする」考え。
この考えに至るためには、まず神様の考えを知らなければなりません。
そのために聖書があり、人は聖書を通して神様の考え方の基本を学んでいきます。

そして、その土台の上に「時代の使命者」を通して伝える「今この瞬間の天の考え」を受け行っていきます。
決して、この御言葉は人間が心の救いを受けるためのものではなく。
この御言葉は、ひたすら「天のため」にあります。
だから、「天の御心を成して生きたい」と願う人にとって、この御言葉は祝福になるのです。

そして、私たちの考えが天を中心にするために必要なのが、祈り。
祈りを通して神様に自分の思いを告げ、神様の思いを受ける。そうすることで自分の考えを天の思想にしていきます。

私たちには一寸先の危険もわからない。
私たちには将来の自分のことがわからない。
私たちには自分の心がわからない。
そして、私たちには永遠に生きる道がわからない。

だから、祈りが必要。私たちが天の考えで生きるため、私たちが永遠に「生きる」ため。
すべてのことは「私たちを生かす」ためなのです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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