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ホセア書と神様の愛の苦痛と無限の赦し

おはようございます、satoです。

続けて聖書を通読していますが、最近ちょっとスピードが速く、読み終えた箇所が増えてきています…(´・ω・`)
速く読めるのは良いことなのですが、記事を書くのが追いつかない…(笑)
というわけで、今日は旧約聖書「小預言書」第一弾です!

小預言書とは

小預言書とは、イスラエルとユダが神様を離れ偶像崇拝し、罪を犯し続けていた時代、神様の御言葉を受けて預言した人たちの言葉をまとめたものです。
大預言者(イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル)ほど有名ではありませんが、それぞれの預言者を通して話される神様の姿は、私達が神様を深く知る上でとても重要なものになります。
たとえば、キリストがどこから生まれるのかを預言したミカがその一人です。

小預言書は基本的に短く、読みやすいです。そして、それぞれに込められた神様の思いがまた異なります。

ホセア書

その一番初めに来るのが「ホセア書」です。

ホセアが預言をしていたのは、まだイスラエルが存在していた時代。

ユダヤの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの世、イスラエルの王ヨアシの子ヤラベアムの世に、ベエリの子ホセアに臨んだ主の言葉。-ホセア書1章1節

ユダの王ヒゼキヤといえば、神様に対する信仰が篤く、祈りによって国を守ったユダの王様です。
ところが、その前の王様、ウジヤからアハズは神様の前で悪を行なったのでした。具体的には神様を遠ざけ、偶像崇拝をしていたのでした。
また、この頃は民たちも多くの悪を行なっていました。この頃にホセアは預言をしていたのでした。
ホセアが預言していたのは、主にイスラエルに対してでした。

ホセア書のコンセプト

ホセアを通して、神様がどのような話をしようとしているのか、それは冒頭に出てくる次の聖句から分かります。

主が最初ホセアによって語られた時、主はホセアに言われた、「行って、淫行の妻と、淫行によって生れた子らを受けいれよ。この国は主にそむいて、はなはだしい淫行をなしているからである」。-ホセア書1章2節

このように話して、ホセアを遊女と結婚させました。
その後、彼女は子供を産んでいたのですが、しばらくしてホセアのもとを離れ、再び遊女として生きていました。

主はわたしに言われた、「あなたは再び行って、イスラエルの人々が他の神々に転じて、干ぶどうの菓子を愛するにもかかわらず、主がこれを愛せられるように、姦夫に愛せられる女、姦淫を行う女を愛せよ」と。-ホセア書3章1節

そんな彼女を、神様は再び受け入れるようにホセアに話しました。
そして、ホセアはこのように話しました。

わたしは彼女に言った、「あなたは長くわたしの所にとどまって、淫行をなさず、また他の人のものとなってはならない。わたしもまた、あなたにそうしよう」と。
-ホセア書3章3節

ホセアは愛を裏切った女性を再び受け入れたのでした。

愛の苦痛

夫婦が過ごす中で、最も大切なもの。それは「愛」です。
もし愛が壊れなければ、その他の失敗は許されます。夫婦として最も大切な「愛し合うこと」ができるからです。
もちろん、家事・仕事ができればもっと良いですが、それはあくまで「愛」があればこそです。

裏を返すと、他のことがうまくできても、「愛」が壊れてしまえば…その夫婦は夫婦としての関係が保てません。
浮気、不倫…そのようにされたとき、他のことには耐えられたとしても、その「愛の裏切り」は決して耐えることができません。

愛というのは、本来それほど重いものなのです。

昨今結婚しても不倫したり離婚したりすることが増えてきている、ような気がします。
それは「夫婦同士の愛が冷えてしまう」ということが起きているからです。
不倫、浮気、隠し事…これらがなくても「愛が冷え、壊れる」なら、その苦痛は一番大きいです。

神様の愛の痛み

ホセア書4章以降は、神様の御言葉が続きます。それはイスラエルがどのような行いをしているのかを訴えるかのような内容です。
イスラエルが他の国をより頼み、偶像に仕え、悪の限りを尽くす…。

わたしはイスラエルの幼い時、
これを愛した。
わたしはわが子をエジプトから呼び出した。
わたしが呼ばわるにしたがって、
彼らはいよいよわたしから遠ざかり、
もろもろのバアルに犠牲をささげ、
刻んだ像に香をたいた。
わたしはエフライムに歩むことを教え、
彼らをわたしの腕にいだいた。
しかし彼らはわたしにいやされた事を
知らなかった。
わたしはあわれみの綱、
すなわち愛のひもで彼らを導いた。
わたしは彼らに対しては、
あごから、くびきをはずす者のようになり、
かがんで彼らに食物を与えた。-ホセア書11章1-4節

「私は、そんなあなたを見たいのではない…」
神様が哀切に訴える、そんな愛の痛みを感じます。

エフライムよ、
どうして、あなたを捨てることができようか。
イスラエルよ、
どうしてあなたを渡すことができようか。
どうしてあなたをアデマのように
することができようか。
どうしてあなたをゼボイムのように
扱うことができようか。
わたしの心は、わたしのうちに変り、
わたしのあわれみは、ことごとくもえ起っている。
わたしはわたしの激しい怒りをあらわさない。
わたしは再びエフライムを滅ぼさない。
わたしは神であって、人ではなく、
あなたのうちにいる聖なる者だからである。
わたしは滅ぼすために臨むことをしない。-ホセア書11章8-9節

そして、遊女のように神様から離れ自分の赴くままに生きるイスラエルをなお愛し、取り戻したい神様の愛をも…

愛の裏切りを受け続けた神様

思えば、神様が愛を裏切られたことは今までも数多くありました。
アダムとエバを愛してエデンの園に置きましたが、彼らは「善悪を知る木の実を取って食べてはならない」という御言葉を守らず、堕落してしまいます。
エジプトで奴隷となっていたところをモーセを通して救いましたが、イスラエル民族は辛くなると神様に不満を言い、その言葉を聞こうとしませんでした。
士師時代、何度も神様を忘れて偶像崇拝をして、敵の手に陥るところを救ってあげたらまた裏切って偶像に仕え…。
多くの預言者を通して神様のところに戻るように話しましたが、その言葉を聞かずにむしろ話している人を殺そうとすらしました。
救い主が来ることを信じて待ち望む彼らにイエス様を送ったのに、彼らはイエス様を救い主と分からずに不信し殺してしまいました…。

神様は、人間から愛の裏切りを受け続けたのです。数え切れないほど多くの…。

私自身、神様の愛を裏切ったことが何度もあったと思います。
神様の愛をちゃんと知らず、自分中心に生きていた私。神様のことを愛そうとして、調子が悪くなると自分の心のままに生きる。
それでも、神様は私を愛してくださいました。御言葉を与え、私が神様のことをはっきりと理解できるときまで忍耐して…。

もう、神様の愛が報われてもいいのではないか?

実に6千年、神様は愛の恨(ハン)がありました。
それを鄭明析先生が悟って、神様の心を慰めようとしたことが摂理の始まりでした。
6千年間誰にも話せなかった「神様の想い」を鄭明析先生が受け止めて、その愛の傷を慰め、その想いを成して差し上げよう…それが鄭明析先生の行動の原点であり全てです。

こんなにたくさん愛の傷を受け、それでも私達のためにすべてを尽くしてくれた神様。
その愛が、もう報われてほしい、報いて差し上げたい、というのが今の私の思いです。
足りない私ですが、それでも神様の愛に応えられるよう日々変化していきたいです!

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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