おはようございます、satoです。
唐突ですが、数学という学問をもし2つに分けるとしたら、私なら代数的か、幾何学的かで分けます。
数学という学問には2つの要素…一つは「数」、もう一つは「図形」…があると私は考えています。
20世紀の数学者グロタンディークは「数」の中でも「離散的、バラバラの世界」と「連続的、つながっている世界」があって、前者が代数、後者が解析の分野である、そしてそれを結ぶのが「幾何学、図形の世界」だと話していました。
ちなみに、「図形」と「連続した世界」というのはとても相性がいいです。なぜなら、線はつながっているからです。
よって、視覚的に見える図形は「連続した世界」に対応しています。
グロタンディークの哲学が驚異的なところの一つに、「離散的な世界」にも対応する図形があると考え、それを構築したことがあります。これによって、数論の問題を幾何学の考え方で解いたわけです。
ちょっと話が難しくなりましたが…。
この「数」か「図形」か、という問題は「教える時」にも考える必要があります。
というのも、子供たち一人一人が「数」か「図形」、どちらのほうが分かりやすいかという話があるからです。
たとえば、三角形の相似について考えてみましょう。
三角形の相似の中で一番難しいのはどの辺が対応しているのかを見抜くことだと思います。角の情報がはっきりしていれば、そこに合わせれば基本大丈夫なので、三辺の情報しか知らないとしましょう。
この時、私は「辺の比を簡単にして、一致するかどうか」を試します。それで、同じ数字になったところが対応している、ということです。
ところが、ある人は「似たような角を見つけて、2つの三角形の向きを合わせて書く」ことで対応する図形を見つけるわけです。
私のアプローチは「数」、その人のアプローチは「図形」でした。
ところで、教える時にどちらのほうが分かりやすいでしょうか?
実は、私が改めて考えてみると図形の方が分かりやすいのです。なぜなら「手を動かせばいい」から。
ただ、「そもそもどのように図形を合わせるのかが分からない」ということもあります。端的に言えば「どうしてそこを合わせるの?」という質問が来たら、私は答えられません。
一方、「辺の比を簡単にする」のは、計算さえできれば「同じ」ということが確信できます。また、図形の向きがどのようになっていても対応する辺が見つけられます。辺の比を簡単にするのは「三辺の比がそれぞれ等しい」という条件から来るので、ある程度理由付けもできます。
しかし、これを言葉で説明すると実は結構複雑になる、ということに気づきました。
これを通して「教える立場としては、図形からか数からかは一長一短あるな」ということが分かりました。
あとはより数のセンスがあるのか、図形のセンスがあるか、どちらでもないか、そこを見極める必要があります。ちなみに、数学苦手な子は図形から入ったほうが楽だろうな、と私は思います。
このように、何かを教える時に多くのアプローチを持っていると、多くの子供達に対応することができます。
また、「理由付けがしっかりしている、理路整然としている」ことが分かりやすいとも限らない、むしろ難しくなる、ということも分かりました。
今後も教えていくので、どんどん研究をしていきたいです。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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