おはようございます、satoです。
発達障害の特性で御言葉を聞けない、というもがきについて、私自身の経験を踏まえて書いています。
今回はASDの特性から来るもがきについて書きたいと思います。
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ASD由来のつまずき
私の場合はADHD由来の注意力散漫、多動性とは別に「御言葉の内容」によって聞けなくなることがあります。
具体的には御言葉の内容によってショックを受けたりすると、それが尾を引いてその後が聞けなくなるということです。
たとえば、昨日聞いた御言葉で、「深く祈るためには、何を話すべきかをしっかり考え準備をする必要がある」ということを聞きました。
確かに指導者と対話するときには最低限「何を話すのか、話す目的」を考えると思います。日常生活において話すならともかく、時間をとって特別に話すときには必ず目的があるわけです。
神様に対してもこれと同じだ、ということです。特に教会に着くなり「愛する神様、感謝します…」という(私達が良くしがちな)祈りは気をつけるべきだということを話されていました。
ところが、私はこれを聞いて次のような「つまずき」がありました。
1.いきなり話をして、目的を持てなかったとしても、「神様の考え」に沿った祈りができることがある。
→実は、この御言葉を聞く前に教会で祈っていたとき、仕事で見た気になることについて報告するうち、突然自分の考えとは違って「神様が本当に苦しまれている」ということや「中高生のうちから考えを奪われるのは大変なことだ」ということを熱烈に祈っていました。
正直、このようなことを目的とはしていなかったし、その時の祈りとして何をするのかあまり考えていなかったのですが、結果として「神様の考えに沿う」祈りになっていました。
2.神様とは「新郎新婦」の関係なのに、考えて話すのか?
→新郎新婦という関係であるなら、もっと密着している感じの関係なはずです。
たとえば、夫婦が何かを話す時にいちいち「今日はあれを話して、これを話して…」と考えるのだろうか?もっと自分のことを気楽に話すのではないか?
特に、私はそのような「自分のことを率直に話す」祈りが得意だったので、その感覚と合いませんでした。
3.そもそも「じっとして考える」のはどうすればいいのか。
→脳の特性のせいか分かりませんが、私は「話すことを頭の中でじっくり考える」のはあまり得意でありません。
いつも「話す」か「書く」ことでアウトプットして自分の考えていることを「実際に見る」ことで初めて考えることができます。
なので、私も「祈りながらそれが大丈夫かどうかを判断する」癖がありました。(言い換えると「脊髄反射で言葉を放っている」感じです)
で、こういう「御言葉と合わないこと」があると自分が受けた恵み、上手くいったことが本当は駄目だったのだろうか?という考えに陥るのです。
「正しい方法」でやっていないことになるのかな?そういう方法でした結果は棄却されるのだろうか?
という感じでつまずいて、しばらく御言葉が聞けなくなるのです…。
「つまずく」ときの対策
これはいつしかチョウン牧師が御言葉を伝えていたなかで話されていたことですが、これがとても参考になりました。
「御言葉を聞いて心に思ったことを書いておいてください!」
確か、こんな感じの御言葉でした。この言葉はその後それを直ちに行うから、という流れで伝えられていたはずなのですが、これを聞いた私は
「そうか!御言葉を聞いて思ったことを書けば良いのか!」
と気づきました。そして、それを実際にやってみました。すると、高確率で御言葉を聞いて疑問が解決できるか、お祈りして解けるようになりました。
たとえば、先程躓いたところを書いたときには、以下のような答えを御言葉を聞く中で、また、その後の祈りで得ました。
1.この御言葉はより「主のために」祈るために伝えられている。
自分の思ったことを祈るならこれでも良いが、天の願うこと、御言葉で話されていることを祈るためにはあれこれ神様のことを考えるほうがいい。
(実際、私は「主のために」祈るのはあまり得意ではありませんでした…これはまだ「自分のもの」になっていないからなんですよね)
2.自分の「主に対する悟り、価値」が漠然としている。
そして、その漠然とした関係性で満足していたところがある。(自分は主に愛されているというだけで満足していた)
しかし、天はもっと私と密接な関係になりたいと願っている。
という感じでした。これを通して、自分の祈りに対する方向性と、主のことを悟る次元を上げる必要性を悟るようになりました。
ASD傾向にある人は「自分の疑問が解けないとモヤモヤ」する反面、「疑問が解けた分より深い経緯ができる」という良い面があります。
漠然と分かったというだけで納得出来ないのがこの傾向です。
実際、自分も御言葉に対して結構理解できたところが多く、自分と天だけの悟り、経緯も多くできました。
この点において、発達障害の傾向がとても有利に働いたなと感じています。
以上、二回に渡って発達障害の傾向を持ちながら御言葉を聞くことに対して書かせていただきました。
御言葉を聞くこと、実践することにおいて苦労するところは多いですが、他の人が躓かないところで躓くからこそもっと経緯が作られるということもあります。
なので、皆様頑張っていきましょう!( ゚∀゚)o彡°
結論→御言葉を聞くコツ:詰まったときには即メモる
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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