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摂理人satoと発達障害。その1

しばらくこちらを更新していませんでしたが、今日から新しく「発達障害」について話をしたいと思います。
私の信仰生活を語る上で、この話は欠かせないので…。
まず、私は軽度の発達障害です。
と言っても、医師から「診断」されたわけではなくあくまで「その傾向にある」という表現でしたが…。
一応摂理内外で複数の方に診てもらってほぼ同一の診断がされたので、発達障害であるとみなしていいでしょう。
…ここまでしないと自分で納得ができない、といいますか「もしかしたら自分の思い込みなのでは…?」と(書いている今でも)思う辺り、やはりとことん突き詰める癖があるのでしょう…。
発達障害の名称としては
「広汎性発達障害」(自閉症スペクトラム)「ADHD」です。
どちらも軽度のものとみなされています。それは私が(外向きに見たら)学校に難なく通って(いるようにみえる)、大学にも無事進学。ここまでほとんど単位を落とすことなく大学院で研究している…と社会生活に適応できているから、だと思います。
ただ、この文章でも()書きしているように、実際にはかなり苦労しているところもあります。人間関係においてもそうですし、生活の中でも苦労することがたくさんあります。ただ、それが外から見たらわからない、問題を起こしていないというだけで。
発達障害について詳しく知らない人のために、この二つの発達障害について私の実例を交えつつ話をしたいと思います。
「広汎性発達障害」について話す前に発達障害の中でも割りとよく聞く「アスペルガー症候群」や「自閉症」について説明します。(現在は全て「自閉症スペクトラム」という一つの症候群と診断されます)
自閉症とは、次の三つの要素があります。
1.社会性に関する質的な差異
そもそも人に興味を持たないとか目を合わせない、ということがあります。社会性の構築をあまり得意としません。
2.コミュニケーションの質的差異
一言で言うと「言外のニュアンスが読み取れない」という特徴があります。「空気が読めない」というのもその一つ。
3.想像性の障害
想像をすることが苦手です。そのためか、「特定のパターン」があると安心し、それから外れると先が見えずに混乱してしまうことが多いです。
自閉症の場合は言語活動の遅れが見られるようです。
アスペルガー症候群の場合はこれがありません。「身体感覚がうまく掴めない」とか空間認識能力がないとかがあります。
広汎性発達障害の場合、「これら3つのうちいくつかが該当しない」ときに付けられます。私は人に対する関心はどちらかと言えば強いし、言外のニュアンスがまったく読み取れないわけでないようです。たとえば、他人同士が話し合っているのにいきなり割り込んで話をしないです(→その代わり、自分がいつ話せばいいのかわからずタイミングを逃しますが)。ただ、人と目を合わせるのは苦手だし、どこか不自然な感じは否めません。
また、「人がどう見ているのか」を想像するのはちょっと苦手です。バイアスがかなりかかっている気がします。
言語活動の遅れはそこまで目立たないですが、小学校のときにことばの教室に通っていたことを思い出します。
そして、ADHDですが…。私の感覚ではこちらの傾向が強いと思っています。
特性は以下のとおりです。
1.不注意(注意力散漫)
色々なことに目がいって集中できない。また、一つのことにとらわれて他が目に入らずボーっとしている。
私の場合はいつも「空想」にふけるという形で強く出ています。いつも外を歩くときもボーっとしていると数式が浮かんだり自作マンガが浮かんだり、過去の人との対話が浮かんだり…。
あと、不注意のために人の話を聞き漏らす(聞いても情報が入っていない、理解できていない)とかがあります。(もっとも、この辺りは広汎性発達障害の要素もあるようですが)
2.多動性
とにかくじっとできない。ひたすら動いてしまう。
私の場合は口の多動性が強いかもしれません。つまり一方的にしゃべるのです。だから、相手がじっとしてしまう。そしてなんか空気が…。
また、じっとできない、というのも当てはまっていて、私は机にずっと座っていることは得意でないです。
授業以外で座って勉強を続けるのは至難の業。大抵の場合ちょっと詰まったところで動いたり歩きまわったり、トイレいったり…じっとしてられないです。授業中に座っていることは可能ですが、どうも「空想で飛んでいる」状態のようでした。(実はこの辺り、摂理に来てから改善されているみたいです。)
3.衝動性
突発的に何かをしてしまう。人に手を出したり、自傷行為をしたり。
私の場合、これはそこまで強くない気がします。ただ、計画性がなかったり、感情の波は激しいです。
全ての症状に言えることですが、これらの傾向が生活に支障をきたすほど強いのと生まれつきこの傾向があるというのが発達障害の条件のようです。
あと、これは自閉症スペクトラムにしてもADHDにしても出る要素のようですが…
一つのことに対するこだわりがかなり強いというものがあります。私の場合、それは「記号」のようです。これは次の記事で書いてみようと思います。
最初にも書きましたが、私が摂理に来て信仰生活をする中で中心となったのが「発達障害」という特性にどう対応するかでした。
これから、私の(親や周りの人から話を聞いた情報も含めた)生涯を書く中でそれを表現できればと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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