おはようございます、satoです。
今日の明け方にこのような箴言を聞きました。
<あるべき位置、黄金の場所>は「全体の中心の場所」だ。
<人間の肢体>も「あるべき位置」どおりに存在する。<メシヤ>は「中央の位置、愛の場所」にいる。-2017年8月15日鄭明析先生の明け方の箴言より
聞いた時に、私はふと三角形の重心のことが思い浮かびました。
三角形には「内心」、「外心」、「傍心」、「垂心」とこの「重心」と5つの「中心」があります。中心なのに5つとはこれ如何に…と思いたくなりますが、それぞれ異なる意味を持った「中心」なのです。
三角形の重心とは三角形の各頂点と向かい合う辺の中点を結ぶ線(中線)が交わるところです。
一方、「重心」という言葉自体は物理学でも出てきていて、これは物体の中心という意味です。
もう少し細かく書くと物体の各部分に働く重力と釣り合うだけの力が働く点のことです。
一見するとこの2つの「定義」は一致しないように感じます。
それでは、どうして三角形の中線の交点が「重心」と呼ばれるのでしょうか?
三角形の中線と面積
このことを考えるにあたってポイントとなるのが中線は三角形の面積を二等分するということです。
この図には三角形が3つありますが、全ての三角形の高さは一致しているので面積を決めるのは「底辺の長さ」になります。
そこで、大きな三角形の底辺の中点を通るように線を結ぶと、小さい2つの三角形の面積は同じになる、言い換えると大きな三角形の面積を二等分する、というわけなのです。
中線と重心
この事実を踏まえて、「中線の交点が重心になる」ということを示します。以下、三角形状の物質の厚さは均一、また三角形状の物質は一つの物質でできているとします。
この仮定を考えると、中線によって分けられた部分の体積は等しくなります。さらに分けられた2つの三角形は同じ物質でできているので密度も等しいです。
すると、「質量=密度×体積」より2つの三角形の部分の質量(つまり重力)が等しくなります。
そういうわけで、中線は三角形上の物質が釣り合うラインになるわけです。(実際、中線に沿ってシーソーみたいに三角形状の物質を置くとバランスが取れるはずです)
さて、重心は「中線の交点」でしたが、中線は「釣り合うライン」なので、この交点は物質の各部分の重力が釣り合うところになるわけです。
だから、「中線の交点」は重心となるわけでした。
これを通しての悟り
…はあまりないのですが(´・ω:;.:…
ただ、重心の定義こそ(数学・物理ともに)高校でしますが、今の議論は実質的には中学数学・理科の範囲で成されたのがとても面白かったです。
実際、ほとんど私が塾で教えたことばかりです。むしろ、塾で教えていたから明け方箴言を聞いた時に思い出した、ということでもあります。
ところで、三角形の重心は中線の交点でしたが、このように「私達がどこに重きを置くのか」もしっかりとバランスを取ることが重要ですね。
肉と霊、現在と未来、罪と悔い改め、自分と他人、自分と神様…。
これらをしっかりと考えていくと、自分の「重心」が見えてきます。
「あるべき位置」に自分を置いた時に、自分を安定させて存在させることができます。
これと同じように、肉の世界と霊の世界、神様を信じる人と信じない人、平和を望む人とそうでない人、人間と自然等様々なバランスを見ていくとその中心は結局「愛」に至るのかなと思います。
その位置にいるのが「メシア」ってなるのかな、と今日の箴言につなげて終わります。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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