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「私」と似て非なる存在~数学と芸術~

おはようございます、satoです。

今日はこちらのブログの紹介記事です。

摂理の彩り~芸術と信仰生活~

摂理の芸術家Minoriさんの信仰と芸術についてのブログです。その他カフェやメイクについても書かれています。
以前、私が描いた構想「空中天国」を数千倍美しく神秘的にしてくださいました(^o^)

例によって文章の感じについて話しますが、この方は基本的に面白いですね。
美しい絵とはいい意味で対称的に、フランクといいますか、多少砕けている感じです。それがとても楽なんですよね。
ちなみに、一度だけ実際に会ってお話ししたのですが、その時もとても楽に話せました。これはある意味スゴイことでして…私は大概(男女問わず)ある程度慣れている人でないと(人であっても)緊張しているところがあるので、直接話すのがほぼ初めてという段階で楽なのは滅多になかったです。

そして、本当に絵はキレイです!幻想的な世界と美しい女性、その純粋な光で自然と涙が出てきます。
これは是非リンクから作品を見てください…。

ところで、Minoriさんは芸術の視点から色々な深い話をしてくださいます。

芸術家が持たなければならない精神

これを見て感じたのは「私」と似て非なる存在だなということです。
これはMinoriさんに対してというより(確かに同年代で似たようなことはしているが)、もっと本質的な「数学と芸術」の似て非なる存在、という話です。
これは最近ある漫画について知ってから感じたことでもありますが…。

数学者にも色々います。既存の数学を証明し、理論を整備する人から、その理論を使って色々な問題を解く人、現実の問題に応用する人、そして理論を作る人。
Minoriさんの話は特に「理論を作る人、深く考察する数学者」にも該当すると感じました。

数学は「色々なことを精密に、詳細に、厳密に」考える学問です。その中で直感的には明らかそうでも、私達の想像を越えた世界では違っていた、という話もあります。
例えば、微分可能、というのは直感的にはグラフが滑らかであることと思います。だから、微分可能でない連続関数といえば「尖っている」というのがイメージしやすいです。例えば絶対値関数(グラフはV字型)のように。
そう考えると、「微分出来ないところ、というのは関数全体の中でそこまで多くないのでは?」と直感的には感じます。
ところが、ワイエルシュトラス関数というものがありまして、詳しくはWikipediaを見ていただきたいのですが、これは至る所で微分不可能な連続関数なのです。
この関数は「病的な関数」と言われていますが、「普通の人は考えないよ…」という直感から外れたもの、という意味もあるのかなと思います。

そういうわけで、数学者は厳密に考えます。深く考えます。
これは数学者が「深く考える」ことが好きで、その味を知っているから、ということもありますし、そういう才能があるから、なのです。
だけど…それは世の中でいう「普通」とは異なるわけです。また、「考えの世界」に没頭するあまり、他のことが上手く出来ない数学者もいました。
数学者の中でも、特に革命的な理論を「創り出す」人は相当に繊細で、相当に敏感です。それ故に多くの苦しみを味わうこともありました。
精神を病む人もいれば、社会から離れて生活する人もいました。

このような創造的な数学者は「その道しか生きられない」アーティストと非常に似ています。
それ故に、数学の才能を失った時、自殺する人もいました。また、命を削ったのか、早く死んでしまう人もいます。

これは日本の数学者新谷卓郎氏の遺書ですが、端的に言うと、「数学が出来ない」というところに対する絶望が書かれています。
この「数学を愛し、感覚的に把握する部分」というのは確かに私もあります。それがなくなり、数学ができなくなった、そのことに絶望し命を絶った、ということです。
この話を聞くと、また谷川豊の話を聞くと、どこかで理解できる自分もいます。
だからこそ、神経が敏感な人だから、もっと心を強く持ち、神経の方向を治めないといけません。
人の悪意、感情に敏感な人だからこそ、そういったものより、外の世界、自分のすべきことにもっと神経を使うこと。これが大事です。

というわけで、私も「似て非なる」世界を見つめながら、自分のすべきことにもっと集中していこうと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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