サイトアイコン 摂理研究所/キリスト教福音宣教会

『五等分の花嫁∽』観に行きました!(ネタバレあり・感想編)

おはようございます、satoです。
ついに公開された新作アニメ『五等分の花嫁∽』。私も早速観に行きました!
前回(ネタバレなし・経緯編)はこの作品を観るまでの経緯と、その過程で起きた信仰のしるしについてまとめました。

で、ここまでお祈りして、聖書も読んで、様々に自分を直していって観た感想ですが…

一言でいうと良かった…です。

もう少し言葉にすると、私が観たかったエピソードが、もう良かった。泣くしかない。
これまでの記事を読んだら、大体あのエピソードだろうと予測できるかもしれませんが、これについて色々語りたいと思います。

ちなみに、本編後の声優さんのトークで竹達彩奈さん(二乃の声優さん)が

「あのエピソードなしに学園祭の話やっていいの!?って思った」

と話していましたが、大いに同意します。なんなら映画館で思いっきりうなずいてた。

ここからは五等分の花嫁∽を含む、五等分の花嫁全体のネタバレ(結末まで合わせて)が大いにあります。また、私の考察も混じります。OKでない方は是非ネタバレなし編を読んでください。

全体の流れ

今回のアニメは二期(修学旅行まで)と映画(学園祭以降)の間の「夏休み編」で、これまでアニメ化されていないエピソードをいくつか合わせて作られています。具体的には以下のエピソードが出てきました。

この中で、おままごと回と四葉エピソードは夏休みではないのですが、今回使われております。
実は一点だけ私が予想外だったことがあったのですが、夏休みの中で割と重要だと思っていた「一花の退学騒動」がなかったんですよ。
確かにこの作品全体の(私の中での)テーマを考えると、省いても大きく問題はないとは思うのですが、一花エピソードの中では割と重い話だったので、これがなかったのが意外でした。

では、ここからは個別に感想を書いていきます。

二乃エピソード『ツンデレツン』

最初に描かれたのは、バイト先の店長が入院したことをきっかけとして、風太郎に対して二乃がアプローチしていく「ツンデレツン」。原作でも人気のエピソードの一つ。
これまで「フー君大好き!」アピールをしていた二乃ですが、なんと心を開く前の状態(「上杉」呼びで、やたら当たりがキツイ)になってしまう、一体何が…という話です。

まず、風太郎は一花、二乃、三玖からのアプローチを受けて自分も勉強しようと恋愛テクニックの本を買って読んでいることが判明します。その中で押してダメなら引いてみるというものがあります。
そのこともあって、この二乃の態度の豹変も「こいつ、”押してダメなら引いてみる”を実践してやがる…!」とすぐに気づくわけです。が、店長の「怒っているのでは?」という言葉や二乃の肩を掴んだ時に思いっきり拒絶されたのを受けて…
「やっぱり勘違いだったんじゃ…恥ずかしい…!」
ってなるのが面白い(笑)一方二乃は二乃で…

「やりすぎたー!!」

ってなっているのが面白かわいい(笑)二乃って割と表情がコロコロ変わりますよね(笑)
そう、風太郎の予想通り、二乃の態度は「押してダメなら引いてみる」の実践だったんですね。

このエピソードで重要だなと思ったのは

です。最初の話はプール回でも出てきます。あと、父親のマルオさんも出てきますが、この話も含めてマルオさんと一人で向き合うシーンが多いのは圧倒的に二乃なんですよ。五月もちょっとありますが、他の姉妹はなかった気が…四葉は過去にありましたね。

最後の話は「強そうに見えて本当は弱い」二乃の本質的な問題の話でもあります。これを知れたのは割と大きいなぁと思いました。

一花・三玖エピソード『リビングルームの告白』

次は三玖のエピソードとして有名な「リビングルームの告白」。
一花のマネージャーの娘である菊ちゃんとのおままごと回です。ちなみに、私はこのエピソードは三玖メインで、一花は退学騒動がメインだと思っていました。
原作ではかなり初期のエピソードなのですが、引っ越しする時に菊ちゃんが描いた絵を見て回想する、という流れで導入されました。

この中で、風太郎がパパ、一花と三玖が「パパを好きな同僚さん」という設定で、後から来た四葉は「ペットの犬」(割とノリノリ)、二乃と五月は「おばあちゃん」にされ…そうでしたが、二乃がキレて(この時は長髪二乃です。雰囲気が面白い(笑))変わったのでしょうか。
このときの絵もそれが反映されているのですが、四葉が本当に犬として描かれているのがなんというか…(笑)

このエピソードで重要だなと思ったのは

です。

当初は「ママなんていらない」と話していた菊ちゃん。母親が不倫による離婚をしていて、それによって父さん(マネージャー)が苦労しているのを見ているからなんです。が、それが強がりであると見抜いた風太郎がちょっと乱暴ながら泣いて良いんだぞ!と言ってあげるのが良いですね。
風太郎も母親を(おそらく小さい頃に)亡くしており、離婚によって母親がいなくなった菊ちゃんの「本当は寂しい」気持ちがわかったのもあるのかなと思います。

そして、そんな風に「相手の心と向き合い寄り添える」風太郎だから、好きになったんだと改めて気づいた三玖が思い切って「付き合おう」と告白します。が、おままごとだと思っていた風太郎は(「結婚しよう」という爆弾発言をしつつ)それに気づきませんでした。

この段階でも頑張ってアプローチをしようとした三玖ですが、この頃はまだ自分に自信が持てず、本当におずおずと…という感じだったのですが、この後のプール回でその後の変化が見られるのがポイントですね。

一方で、この頃は「好き」という気持ちをはぐらかしていた一花ですが、どこか好きかと言われて答えようとしている辺り、だいぶ惹かれているんですよね。ここもこの後の話でどう変わったのか見られるのがポイントです。

風太郎エピソード『偶然のない夏休み』

次は、妹であるらいはが五つ子と出会わせることを狙って海水浴に連れて行くことをきっかけに起きた海水浴回「偶然のない夏休み」です。が、ここでは五つ子は出てきません。このタイミングで5人ぐらしをしていたアパートからかつて住んでいたマンションに引っ越しをしていたんです。

その代わり、海水浴に来ていたクラスメイトと共に遊ぶ風太郎。ここでは

が描かれています。あと、中学生になりちゃっかりしているらいはが面白い(笑)

かつては「勉強が全て。恋愛など愚か者がすること」というくらい堅物だった風太郎。
これは「妹のために勉強を頑張ってたくさんお金を稼ぐ人になる」という約束を守るために頑張ったことなのですが、その代償として人間関係や勉強以外のことには関心を持たなくなってしまっていました。

そんな彼ですが、五つ子と向き合ううちに勉強以外のことにも関心を持ち、視野が広がります。
もし彼が以前の状態だったなら、こんなことやらないでずっと勉強していたでしょう。しかし、クラスメイトと出会った風太郎は共に遊び楽しんでいました。らいはが疲れていることを受けて帰る風太郎が「クラスメイトによろしく伝えておいてくれ」という風に言うことも、それだけクラスメイトのことを気にかけるようになった、ということです。
五つ子の心を変化させていった風太郎ですが、風太郎もまた五つ子によって大きく変化、成長している、そんなお話です。

そして五つ子がいたらもっと楽しかっただろう…と寂しく思った風太郎は、彼女たちとも遊ぶことにしました。それが次の話と繋がります。

五月エピソード『秘密の痕』

映画ではOPでサラッと流されたプール回。今回改めてエピソード化されました。
この回は五月以外も色々変化が見られるのですが、おそらくメインは五月ですね。

これまで一花・二乃・三玖がアプローチし、(次のエピソードで見られるように)四葉の本当の想いを知っている五月は、風太郎がいることで色々問題が生じることを懸念し、できるだけ夏休み中は会せわないようにしよう!と試みます。
海水浴は偶然の引っ越しにより回避しましたが、まさかの風太郎からの誘いによってプールに一緒に行くことに。
五月はできるだけ姉妹と会わせないようにしますが、そんなことが上手くいくはずもなく…。

このエピソードでは姉妹の色々な変化が見られます。

まずは、修学旅行では演技と策略を駆使してでも最終的には自分を選んでもらおうとした一花。
この過程で姉妹の心を傷つけてしまったことを反省した一花は、比較的落ち着いて風太郎と接していました。実はこの辺りの内心が「退学騒動」でもう少し詳しく書かれていたのですが、自分の気持ちと折り合いをつけられた様子です。

次に修学旅行で告白したことを経て大きく変わった三玖。
もともとアプローチが積極的だった二乃に負けないよう、風太郎に抱きついたり、日焼け止めを塗ってもらおうとしてきます。おままごと回と比べて表情もとても豊かになっています。
「告白したことによって景色が変わった」と話していましたが、自分と向き合い殻を破れたことが大きな変化となっていることが分かります。この話からも分かるように、三玖の物語は恋愛を通して自分と向き合い、成長していくストーリーなんですよね。
(惜しむらくは、三玖の話は比較的最初から描かれているため、今回のアニメと映画だけだと変化後しか分からないという点ですね。そこは一緒に見た人も言ってました。まぁこれは仕方ない)

そして、五月。
風太郎が恋愛テクニックの本を読んで勉強していたように、五月もまた姉妹の変化を受けて恋愛について勉強していました。しかし、いくら勉強していても分からない。
だから、自分の心の思うままにやってみたらいいと風太郎にアドバイスをするのです。
風太郎が姉妹と向き合い、この問題を解決しようとしていることを受けて、喜んでいることを見ても、風太郎に対して信頼をしていることが分かります。
ただし、自分自身が恋愛対象となることはない…と認識していますが、それでも無意識下でかなり意識していることが分かります(たとえば、風太郎と二人で乗ることについて「ここで止めたら意識しているみたいじゃないですか!」って言っていますが、実際意識していないとこうはならない、とシミュレーションした私は思う。ちなみに風太郎は全く意識してない)
最後に恐怖のあまり思わず風太郎の手を掴んでいたことが日焼けの痕から分かるのですが、ここからも五月の本当の想いが分かる…と言いたいのですが。

実はここまで見てきて一番良く分かってないのが五月が本当はどれくらいの想いを持っていたのか?ってことなんですよね。これに関してはどこかでまとめたい。

その帰り道、風太郎のそばで話す一花・二乃・三玖。
後ろで見守る四葉に、「本当にそれで良いんですか?」と話す五月。ここから始まるのが今回の最後のエピソードです。

四葉エピソード『私ととある男子②』

というわけで、原作では夏休み回より少し前に明らかになった、四葉の過去回想回。
私の中で映画を観る前に確実に知ったほうが良いだろ!って思うくらい重要で、最後のブランコシーンによって私の精神が思いっきり揺さぶられる、キライで、好きなエピソードです。そして、今回のアニメにおいておそらく私が何かを悟るとしたらここだろうなと思っていたところでもあります。

このエピソードに関しては、さすがに映画の話もしなければならないので、作品全体のネタバレが出てきます。あと、長いです。

前提の話:①についてと四葉の本質的な問題

まず、②とありますが、では①は?というと映画の中で描かれている小学生時代からの回想で、簡単に言うと、

四葉が風太郎と出会い、「母親のためにたくさん勉強して、お金を稼ぐ人になる」という約束のために頑張るものの、勉強ではうまく行かず…
自分の得意なスポーツで活躍するも、勉強をおろそかにしたことによる落第による退学(転校)が決まってしまう。
このことで一人になってしまうところだったが、他の姉妹が一緒に転校し救われる

という話です。
この過程で、一人となりかけた四葉は「なんのために頑張っていたのか…?」と考えるのだけど、そこで他の姉妹が一緒に転校することになったことで救われると同時に

自分のせいで、他の姉妹も一緒に転校させてしまった…

ということに強い負い目を持つようになります。同時に、このことを許し一緒にいてくれる他の姉妹に対しても強い負い目を持っていて

これからは自分のために生きないで、みんなのために生きよう

と考えるに至るのです。困っている人を見たら助けてあげる四葉は、実は贖罪のためにやっていた、という一面もあります。
ちなみに、このアニメを見たあと、一緒に見た教会の人と、映画の最初の方も一緒に見ることになったのですが、最初の方で四葉がお金を落としてしまいフォローされるシーンを見て

ああいう風にフォローされると、逆に苦しくなるんですよね…

と共感していました。分かる。

以上の話から、四葉は人に対してはかなり肯定的に働きかけるのですが、自分に対しては相当に否定的な働きかけをしてしまうということが分かります。前回の話で私も全く同じ傾向を持っていることに気づいたのですが、実は一緒に見た人に四葉の基礎知識を教えていた時、『自己犠牲』ですね、と言っていたのはこのことだったと思います。
なお、この話をした人は「satoさんに似ていますね」とも話してました。これは牧師さんに話す前日のことです。

今回の最初の方でもすでに「本当に良いんですか?」という五月に、自分は良いよと答えています。もうこの時点で自分に対する望みはないのだろうと感じます。

エピソードについて:風太郎君との再会

五つ子が転校してからすぐ、二乃が転校して良かった、とフォローする中で100点のテストを見つけた四葉。ここから…つまり四葉が風太郎と再会するところから始まります。そう、この話は第一話からの話を四葉目線で振り返っていくのです。

名前を見て小学校の時に出会った風太郎君だ!と思った四葉は風太郎を見つけ、嬉しさのあまり声を掛けようとします。
しかし、これまで約束を果たすために頑張って本当に勉強ができるようになった風太郎を見て、それと比べて「頑張ったけど失敗してしまった」自分が恥ずかしくなり、名乗ることができなくなってしまいます。
それで、思わずかつて呼んでいた「風太郎君」でなく「上杉さん」と名字+さんで呼ぶことになったのです。
第一話ではなんか明るそうに見えた「やっとこっち見た!」ですが、実は割と切ない台詞なのです…。さらに、風太郎は四葉を見て「どうして自分の名前を知っているんだ?」と尋ねます。
四葉は「テストの名前を見て!」と話していましたが、実際にはかつて出会った風太郎のことを覚えていたからなのです。
同時に風太郎は自分のことを覚えていない、気づいていないということに軽くショックを受けています。それでも、風太郎が家庭教師をやることに対して肯定的に捉え、もし自分が頑張って成績が上がったら、昔のことを話そうとすら考えていました。

ところが。
風太郎と接する中で三玖、そして一花が彼のことを好きになっていくのを目のあたりにした四葉。
「風太郎君を好きになってもらって良かった」と話していますが、初めて出会ったときからずっと好きだった四葉としては心境は複雑です。自分を助けてくれた姉妹のことは大切にしたい。だけど、ずっと好きだった風太郎に対する想いもある。
その葛藤の中で、「昔自分に出会ったことのある人」と聞いた風太郎の問いに、彼女は答えることをしませんでした。
この時に一花が四葉のことを見ていたのは最初「一花は四葉が風太郎と出会っていたことを知っていたから」だと思っていたのですが(そうなると修学旅行直前で気付いたことに矛盾する)、今回のアニメで四葉の思い詰めた表情を見て気にかけていたからということが分かりました。

エピソードについて:零奈の正体とその意図

そして、自分の好きだった想い、過去のこと、全て消してしまおうと考える四葉。
しかし、五月が質問したことをきっかけに風太郎もまた四葉との出会いを(彼女とは気づいていないけど)覚えていたこと、その約束をきっかけとして頑張っていたことを知ります。
そのことを喜びながら、しかし姉妹の幸せを優先することを決めた四葉は、家出した五月にすべての事情を話した上で、かつて出会った自分『零奈』として変装してもらうようお願いします。
このことによって、五月は四葉の事情を(唯一正確に)知るようになりました。

変装した五月と一緒に楽しく遊ぶ風太郎。
それを見て四葉は人知れず涙を流します。これ(地面に涙が落ちるところ)、原作になかった演出よね??
それでも、四葉は風太郎が自分のことに気づかないように、そして、人知れず自分の想いを沈めていくのです。

一方で、五月は五月で「四葉が過去のことを言わないこと」に問題意識を持っていて、風太郎に「小学生の時に出会ったのは四葉である」と気づかせようとしています。
実はアニメ化されていない話の中の一つに五月がもう一度零奈に変装して風太郎と出会う話がある(修学旅行直前、買い物の時に四葉と出会った直後の話)他、修学旅行で風太郎と二人きりになろうとしたり、清水寺で風太郎と写真を撮ろうとした(小学生の時に四葉と写真を取ったのが清水寺)のはこのためです。

そんな五月の意図を感じつつ、「誰だって自分の幸せを願う権利はあるはず」という五月に

もう良いよ。つらい役割をさせてごめんね

と話し、突き放す四葉。

エピソードについて:そして…

最後に、風太郎とデートした時に乗った、思い出のブランコで。

「嘘」という言葉でごまかした、思わず出てしまった「好きだから」という言葉。

様々な思い出。

ブランコで一緒に笑っている風太郎を思い出しながら、

上杉さん

風太郎君

好きだったよ ずっと

と、本心を殺しつつ一人言葉にする四葉。ブランコの鎖がきしむ音とともにこの話が終わります。

感想と悟り

他のエピソードと比べて明らかにわかるように、このエピソードに関しての情報量が多いです。
それだけ、私がこの話に注目していたことが分かります。

まず、率直にこのエピソードを映像化してくれたことに本当に感謝したいです。
このエピソードなしに四葉は語れないので、本当に感謝してます。
できることなら映画より先に出してほしかった気もしますが(笑)

最後のシーンが前回「私の信仰生活のトラウマレベルで辛かったことを思い出す」やつなのですが、私もほぼ同様に自分の好きだという気持ちを押し殺そうとしたことがあるのです。なので、その辛さも、痛みも共感できる、いや、しすぎる。
それで、割と精神が揺り動かされるんですよ。

それが、今回かなりのクオリティで…特に最後のブランコの鎖がきしむ音を…四葉が自分で自分の心に鎖を締め付ける音として表現してくれたことが本当に良かったです。考察の中で四葉のブランコは自分の心に蓋をするところって話もあったのですが(最初の家庭教師で良かった!は本音でしょうが、その次のは違うでしょう)、それを裏付ける演出を公式で出してくれました。

ところで、今回このシーンを見てトラウマ、というかこの感情を思い出したか、というと…涙は出ますが、この感情は一切思い出さなかったです。ただただ、切ない。
この変化を通して、ここ数日行なっていた「自分のプラスのことを褒めていく」という方針によって自分が成長していったことを悟りました。

代わりに思ったのは、こういう人、摂理の人に多いよなぁ…ということです。
摂理の人、特に私が見る範囲では日本の人に多いのですが、真面目に信仰生活をして、神様のことも好きなんだけど自分のことを好きになれず、否定的になっている、そんな人。
傍から見たら本当に頑張っていて、神様も本当に愛しているのに、自分がふさわしくないと考え、自分にふさわしいのかすごく悩み、苦しみ、自分から遠ざかる人。
そんな人を見ながら、神様は「そんなことないのに…どうして自分から苦しんで離れようとするのか…」と涙を流すような、そんな切なさを感じているのではないかと私は思います。

実際、こういう人は自分の想いを告げることをあまりしません。自分のしたいことは本当に話しません…いや、話せません。
これも四葉を見ると自分がどうしたいのか、については一切話をしない(人を助けたい、という気持ちは優先するが、自分のことは本当におざなりにする)という物語全体を通しての表現に表れています。
デュエプレコラボ第一弾でも一花二乃三玖が「風太郎とデートしたい」、五月が「ディナー食べたい」と主張していたのに対して「自分がどうしたい」のかは一切話しませんでしたし。(教えてくれる人のために頑張る、と話してはいましたが、自分がどうしたいか、とは少し違う)

神様のことが好きなら、まずは本当にそれが良い。
うまくできなくても、神様のために頑張っていること、それ自体が良い。
神様としては、本当にそれで十分なのだと、今の私なら受け入れられます。でも、それを受け入れるのが難しい人が多くいる。そんな人に向けてのメッセージがこの話なのかなと思いました。

特典の話

ところで、前回ゲットした色紙は実はオリジナルムービーを観ることができます。
私は三玖、一緒に見た人は四葉の色紙だったのですが、両方再生して聞いてみました。
その中で、四葉が「手をつなぎたい」と自分の気持ちを話せるようになっていました。
これ、今回のエピソードからするとだいぶ成長していますよね?!?!
個人的には「おずおずと、遠慮がちに」「してくれると、嬉しいです」っていうのがリアル。ずっと自分を否定してきた、自分を悪いと思っていた人が自分のわがままを言えるようになる、そんな過程を感じます。

感覚としては、今回の話から一年くらい経った時の話と想定して良いのかなと勝手に思っています。

私もまた、この映画を見たいという自分の気持ちを打ち明け、色々な人と相談して映画を観るに至ったのですが、こうやって自分の気持ちを話せるようになったのもつい最近でした。
今回のことを通して自分自身が新たに生まれ変わっているのを感じます。

終わりに

こんな四葉が如何に救われるのか、本当に救われるのか…この辺りは映画の方を見てほしいなと思う次第です。
ちなみに一緒に見た人にもオススメしました(笑)

この辺りは総括でも話したいところなのですが、この四葉を見て、果たして風太郎はどうするのか?
そもそも誰かの心に寄り添える風太郎が四葉のこの想いに気づかないことがあるだろうか?この辺りは物語の核心なのではないかと思っています。

あと、一花の退学騒動と二回目の零奈の話、そして四葉のエピソードでもう一つ重要だと思っている「学級長の噂」などの映像化もお待ちしています(笑)

今回このアニメを作成してくださった関係者の皆様、原作者の春場ねぎ先生、本当にありがとうございました。

最後に、この一連の出来事に共にしてくださった神様に本当に感謝します。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
モバイルバージョンを終了