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日本人ってすごいんですよ!フェルマーの最終定理編

おはようございます、satoです。

この共同ブログに一回記事をアップしていた際、「日本人が自分自身に誇りを持てていない」ということに危機感を感じて、数学分野における日本の功績についていくつか書いてみました。

フィールズ賞をアジアで最多の3人受賞していたり

日本独自の数学が起こっていて、しかも時代を先取りするような発見をしていたり

と、結構すごいことをしている日本人。
しかし、これだけではなく今でも日本は世界の数学をリードするような結果を出しています。最近だと京大数理研の望月教授による「宇宙際タイヒミュラー理論」が話題になっていますよね。
この宇宙際タイヒミュラー理論は「ABC予想」(を含めた多くの定理)を証明できる上に、今までの数学とはまた異なる「革新的な」理論とされています。

このABC予想も相当解決されるまでに時間が掛かっている予想ですが、これよりももっと長く解決されるまでに時間が掛かった、有名な予想がありました。
その期間、なんと約400年。数学を知らない人でもなんとなく聞いたことがある、この予想。
そう、フェルマーの最終定理と呼ばれる、あの予想です。

実は、このフェルマーの最終定理の解決にあたって、日本の数学者が重要な貢献をしていたのです。
というわけで、今日はこれを紹介します。

フェルマーの最終定理

フェルマーの最終定理とは

以上の自然数としたとき、

   

を満たす自然数は存在しない。

というものです。
のときにはのように色々な自然数がという等式を満たします。「ピタゴラスの定理」ですね。
ところが、が3以上のときには等式を満たす自然数が存在しない、というのがこの定理の主張です。フェルマー自身がの時を証明し、他のときも成り立つとして、ディオファントスの「算術」の本に書き残したことがこの予想の出自です。ちなみに、

この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。

というセリフは色々な意味でとても有名です。

フェルマー自身、確率論をパスカルとともに作り出すなどとても優秀な数学の能力を持っていました。(ちなみに、彼は数学者でなく弁護士で、数学は趣味程度でしていたのだそうです)
彼が発見した多くの定理は正しいか間違っているか、すぐに証明できたのですが、最後まで「最終定理」は証明できず、いつしか「フェルマーの最終定理」と呼ばれる問題になったのでした。余談ですが、フェルマーが活躍したのは17世紀です。

それからオイラー、ソフィ・ジェルマン、クンマー等が証明をしようと色々なことを試みました。が特定の数のときには証明できたのですが、すべての場合ではなかなか証明をすることができませんでした。

谷山・志村予想

そんな中、この最終定理を証明するにあたって重要なポイントとなる一つの「予想」が提出されました。それが、谷山・志村予想です。

この予想は戦後の数学者である谷山豊志村五郎の二人が立てた予想で、数式を使わない範囲で書くとこんな感じになります。

「すべての有理数体上に定義された楕円曲線はモジュラーである」

楕円曲線については以前こちらの記事で書いた、数学におけるとても重要な曲線です。有理数体、というのは簡単に言うと「分数で表される数」全体のことです。
有理数体上で定義された方程式というのは、「方程式の係数が全部有理数」ってことでOKです。たぶん。
一方、モジュラー(モジュラー形式)というのはとても対称性の高い関数で、これまたとても重要なものになります。
この2つは一見すると全く関係のないものなのですが、実は楕円曲線とモジュラー形式、それぞれの「ゼータ関数」は一致するというのがこのこの予想なのです。

そして、実はフェルマーの最終定理がこの谷山・志村予想から証明されるということが分かるのです。
正確には谷山・志村予想の反例が、を満たす自然数から導かれるという定理が示され、「谷山・志村予想が正しければ、フェルマーの最終定理が成り立つ」ということが判明したのでした。
このことによって、フェルマーの最終定理を楕円曲線の研究者であったアンドリュー・ワイルズが証明できたのでした。

フェルマーの最終定理で語られることの多い谷山・志村予想ですが、この予想自体とても深い内容を持っています。
楕円曲線は「代数」の世界、モジュラー形式は「解析」の世界。この2つは一見関係ない世界だと思われていたのですが、この2つがゼータ関数というものを介してつながっていたという驚くべき事実を導き出しています。
代数的対象は計算をするのがとても難しかったりします。一方、解析的、かつとても性質の良いモジュラー形式は色々な計算も簡単にできます。
この2つがつながっているということは、モジュラー形式というものを使って楕円曲線について研究することが可能ということを示唆しています。

さらに、谷山・志村予想を一般化したのがラングランズ対応と呼ばれるものです。これは先程「有理数体」上としていたところをさらに拡張して一般の数体で同様の対応があるかを考えるものですが、未だ完全な証明はなされていません。

この二人ってどんな人?

ところで、この予想を立てた二人はどんな人だったのでしょうか?

二人が活躍したのは戦後間もないころでした。
第二次世界大戦が終わって、日本はまだ復興の真っ最中。学会も元気がありませんでした。
そんな状況を憂えた二人が数学研究をする学生を集めて、独自の団体「SSS」を建てて、海外の結果を自分自ら入手して研究していったのだそうです。
その結果、海外から来た数学者が驚くような結果を、二人を筆頭にした日本の数学の学生が発表したのでした。

谷山豊はどちらかと言えば「発想を見つける、構想を受ける」のが上手な人でした。間違っていた発見も多かったようですが、その間違いも「とても良いもの」だった、と志村五郎は話していました。
しかし、谷山・志村予想を発表した後、谷山豊は突然自殺をしてしまいました。
その理由は定かではないのですが、「自分の将来に自信が持てない」と彼は遺書の中に遺していました。

一方、志村五郎は彼の研究の跡を継いで…という言い方が適切なのかは分かりませんが、彼の構想を定式化し、より完全なものに仕上げました。
現在では「志村多様体」など重要な概念を生んだこの分野の研究における中心人物の一人となっています。
ちなみに、志村五郎は現在も存命しています。

個人的には「発想を受けるのが得意」なラマヌジャンと「それを数式化、証明するのが得意」なハーディの組み合わせに近かったのかなと思います。

このように、日本の研究者がフェルマーの最終定理の解決について重要な貢献をした、というのは本当にすごいことだと思います。
それも、自分自ら好きで数学研究をしたというところが大きいのかもしれません。
環境が最悪でも、自分を磨き、自分で環境を作ったから、このような結果を成し遂げたのだと、私は思います。

楽に生きることには二つの方法がある。 一つ、<不便な所を楽に作って楽に生きる方法>があり、二つ、<自分の心と考えと体を磨いて楽に生きる方法>がある。

しかし不便な所を全て楽に作ることはできない。たとえば登山路が険しいからといって、山道を全て作ることができるだろうか。<自分>も山をよく登れるように作り、そうしながら<山道>も作ってこそ楽だ。

自分の心と考えと体だけを作るからといって、全て楽になるわけでもない。 たとえば生活をする時、家が狭すぎて環境が楽ではないのに、自分だけを作るからといって楽だろうか。 <環境>も作り、<自分>も作ってこそ楽だ。-鄭明析先生の明け方の箴言より

ところで、実はフェルマーの最終定理に貢献した日本の数学者は谷山豊・志村五郎のお二方だけではありません。
実はもう一人いるのです。彼の功績と研究についてはまた別の機会に書いていこうと思います…私も全然理解できていないので(´・ω・`)

 

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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