人は何か一つのものを持っているなら、それを通して人と繋がれる。たとえ、言葉が通じなくても。
こんばんは、satoです。
月明洞滞在記、今日は「ディアボロ」に関する話をしたいと思います。
私は摂理に来る前からディアボロというジャグリングをしていました。詳しくは
摂理人と主との「ディアボロ」を通しての経緯~出会い~
を御覧ください。
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どうしてディアボロを持っていったのか?
そもそも、どうして月明洞にディアボロを持っていったのか、といいますと…。
以前、北海道に来た牧師さんに私がディアボロをしていることと、その経緯について話をする機会がありました。その時に、
いつどこで見せる機会があるか、わからない。だから、何かあるごとに常に持っていった方がいい。
そうアドバイスをいただきました。 それ以降、私はディアボロを何かあるごとに持っていきました。もちろん、しないときもありましたが、それはそれで「今はこの時じゃないんだな」と思って、諦めずにやりました。
聖地月明洞で
そういうわけで、宿泊先から月明洞に行く時にいつもディアボロを持っていきました。
正直荷物が多くなり、持ち運びが不便でしたが(笑)
しかし、このディアボロを通して様々に人とのつながりを持つようになりました。
御子愛の家の玄関は広いので、そこで練習をさせていただきました。そうしたら、一人の韓国人が来て、 「僕にもやらせて!」 と(英語と韓国語で)話しかけてくれました。私も(拙い韓国語、英語で)どうやったらコマを回せるのか、教えていました。また、彼はハイトスの動画を撮ったりもしてました。 それ以来、今回の滞在中彼と会うたびに彼がディアボロをするジェスチャーをして「今日はやらないの?」と聞いてきたりしました。私も彼と色々話すようになりました。
また、「実は前にちょっとだけやったことがある」という人とか「実はこういうのが好きで」という人とか、いろいろな人にディアボロを貸して、時には教えたりしながら交流しました。どの人もそれまであまり話したことがなかったり、初対面の人でした。
何かきっかけがないと話しかけることができない私でしたが、不思議な事にディアボロがその間を取り持ってくれることが多かったです。
そして、このディアボロを通して、更なる恵みが得られました。長くなるので、続きは別記事で書きます。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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