おはようございます、satoです。
今日御言葉を聞きながら、「霊のため、自分の肉に必要なことだけをしなさい」という話を聞いたときに自分の心と深く対話しました。
というのも、こういう話を聞いたときにどうしても受け入れるのに抵抗が出ていたからです。
私は基本的に「頑張れない」人間だと思っていました。
自分がもっと良くなるために頑張ったり、自分がしたいことを我慢するのが本当に苦手…というより抵抗がありました。
良くなるとしてもそのために苦しむなら…という感じで、楽することを重視していたように思います。
でも、神様は「自分が頑張ること」を喜んでいるし、それを願っている。
なぜなら、頑張ることで「私にもっとたくさん与えたい」から。もっと「大きな祝福を受けて喜んでほしい」から。
その思い、愛を無碍にはしたくない…とも思っていました。
さらに突き詰めると、以前も「頑張ることに対する無気力感」が出ていたことを思い出しました。
それで改めて考えたときに「神様は自分がやっていること一つ一つを喜んでくださっている」のを思い出しました。
明け方お祈りすること、聖書を読むこと、賛美すること、ブログを書くこと…。
それをすることを神様が願っているだけでなく、やったら認めてくださる。
そのことを思い出したとき、無気力だった心が少し前向きになりました。神様が喜んでくださるならやろうかな、と。
結局のところ、自分のために頑張ることはできないけど「神様が喜んでくださるなら」頑張れるんですよね。
その上で、自分でもできたことを認めて神様が喜んでくださっているように、自分も喜ぼうと思いました。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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