おはようございます、satoです。
鄭明析先生は御言葉で「御言葉を学んだから、どのように成されるのかを見なさい」と話をされました。
神様は理論で終わらず、確かにこの現実世界で御言葉通り行われています。そして、それはあらゆることを通して分かります。
次のような聖句があります。
だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
口語訳聖書 マタイによる福音書6章31-33節
この聖句は一言で言うと「まずは神様の願うことをしなさい。そうすればすべてのものが与えられる」という話です。
そこで、今日はこの聖句通りに実際に成されたある人の経緯を代わりに証させていただきます。
ある人は教会から少し遠いところに住んでいました。
その人は明け方の祈りに強い感動があって、毎日遠いところから歩いたり自転車を使って教会に来ていました。
しかし、夜道を一人で歩くのは危ない、とかその他諸々の事情で明け方は教会に来ないほうがいいのでは、と言われました。
その人は、明け方の祈りをするため時には近くに住んでいる人のところに泊まることもありました。しかし、本人は毎日教会で祈れないことにもどかしさを感じていました。
それで、明け方毎日教会に来ることを切に願い求めていました。そうしたところ様々に状況が動いて…なんと自動車が手に入りましたΣ(゚Д゚)
現在、その人は自動車を使って毎日明け方の礼拝に来てお祈りを捧げています。また、時には教会の行事で必要な時に運転をしています。
ちなみに、自動車を得てから数年間明け方教会に来ていますが、一度も事故なく来れています。
これって相当奇跡的なことで、明け方は暗い上、車の通りも少ないので危険な運転をする車もちらほら見られます…。
さらに、疲れていると居眠り運転をするかもしれません。冬になれば場所によっては路面が凍って滑りやすく事故が起こりやすいです。
このような環境の中、数年間事故なく無事に教会に来れているところにその人を守られる神様を感じます。
この経緯を見ながらただ義を行うことを切に願い求める人に神様が祝福を与えるのだという鄭明析先生の御言葉がぴったりだなと感じます。
私たちには色々な欲があります。あれをしたい、これをしたい、あれがほしい、もっともっとほしい…というように。
時にはそれを神様に求めることもあります。
しかし、そのようにして得たものというのは、大抵神様の願うとおりにでなく自分の心のままに行い、神様のことを忘れてしまう、ということになります。
だけど、「神様のことだけを考える」人なら、どんな祝福が与えられても、それを義のために使うことしか考えないでしょう。
ちょうど、教会で祈ることを切に願い求めたら車が得られたときのように。
だから、神様は「義を求める人に祝福を与える」のです。それはまことに御心にかなったことです。
今回は具体的に聖句通りに成されている一人の証を書かせていただきました。
このように、今も世界では「御言葉通り」に成される神様の働きが起きています。
そのような働きを分かって、これからも伝えていけたらなと思います。そして、私ももっと義を追い求めながら走っていきます!
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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