おはようございます、satoです。
今日はタイトル通り「摂理で聞いている御言葉が分からなくなったとき」どうしているのか、というのを書きます。
これについて結論から言うと
自分で考え込むより、スパッと切り替えた方がいいです。
というのも自分が御言葉を聞いている途中で急に納得できなかったり、何も感じられないときには、過去のことが影響している可能性が高いからです。
たとえば、自分が御言葉を聞いて「神様がいる」ということを聞いたとしましょう。
このときに「それってどういうこと?」と何も感じられないときがあります。
そういうときは、実をいうと以前「神様がいる」という言葉に対してスルーしていたという経験が積み重なって「神様がいる」という言葉に対して免疫ができてしまっている、とか、「神様がいる」と聞いて何か怖い思いをしたとか、そういうことが起きちえるかもしれません。
もちろん、「神様がいる」という言葉一つとっても、教会で伝えられるものと神様を知らない人が話すこととではニュアンスが違うでしょう。
もし神様を知らない人が「神様がいる」と話したときには、それは「なんか超常的な働きがある」くらいのニュアンスで「なんか自分にいいこと起こらないかな」と思って話しているかもしれません。
あるいは、現実離れした空想的な感じで、単に雰囲気づくりのために話しているのかもしれません。
また、神様は神様でも「神道文化」におけるいわゆる八百万の神の認識で伝えているかもしれません。ご利益あるよって。
教会で神様を信じている人が話したら、それは唯一神である神様でしょう。新約聖書でイエス様が教えてくれた神様について信じているわけです。
「神様がいると信じれば、神様が愛してくれていると信じれば心が平安になります」という感じで、心の平安のために話しているのかもしれません。
そういう言葉を聞きながら、「そんなのあるわけないじゃん」なんて思いながらスルーしていくと、いつの間にか「神様がいる」という言葉自体にそのような反応をするようになります。
脳は繰り返し考えることで形成されるので、これは自然なことです。
そうして、摂理に来て御言葉を聞いたときに「神様がいる」と聞くと「何を言っているのだろう?」とよく分からなくなります。
今の話は「神様がいる」という言葉に対して書きましたが、自分の過去の経験や聞いた言葉、過去の御言葉に対する態度とかによってこのようなことが起こるのです。
こういうことがないように、御言葉を聞く前には自分の間違った認識を空けるために悔い改めの祈りをします。
しかし、あまりにその認識が長いと自分が問題視することもなく、問題だという感覚もありません。
そういう時に、御言葉を聞くと「分からなくなる」という反応が起こるのです。
さて、このときに「よく分からない、感覚がない」と聞いてそこでとどまっていると分からないことがずっと続きます。そして、問題がそのままとなってしまいます。
こういう時は「あ、今までこう考えていたけど違ったんだな」くらいの考えで御言葉にうなずくのが良いです。そうすると不思議と認識が変わります。
もちろん、時間が経つと戻ることがありますが、これを繰り返していくと認識が段々と変わっていきます。私もそうでした。
実はこれも「悔い改め」になります。
摂理の御言葉は、表現は聞いたことがあったとしても「言っているニュアンス」が他のところで話していることと違うということは多いです。
なので、過去聞いた同じ言葉でも違うニュアンスなんだなって思えば聞きやすいです。加えて摂理の御言葉は詳しく教えてくれるので、もっとスッキリすることが多いです。
というわけで、「気になる」ことがあったときにはひとまず「あ、違ったんだな」くらいで御言葉に従って、あとでしっかり聞いてみましょう。
そうしないと…御言葉がどんどん進んで流れが分からなくなるってことが良く起こりますから(;’∀’)
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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