続・どうして約束の時間を守れないのか?

おはようございます、satoです。

昨日に引き続き、今日は別の視点から「どうして時に合わせることができないのか」について書きたいと思います。
最初に昨日あった出来事について書いて、その後この話を深く分析してみます。

小説を書こうとして

以前ある人と話して以来、「御言葉を基にした小説を書こう!」という熱が再燃した私。
それで、ちょこちょこ過去掲載していた小説を読み返しつつ、新たな小説を密かに書いていました。
ところで、この小説に関して色々経緯があって進めようと思っていたけど、指導者に相談して中止していたことがありました。
私はずっとこのことが恨(ハン)で…「私が上手く書けなかったから、機会を逃してしまった」とずっと考えていました。
それで、「実践の年」である今年こそは!と思って始めようとしていました。

それで、1月からお祈りして始めたことがとてもうまく行っていた経験から、「小説についてもちゃんとお祈りしてから進めよう!」と感動を受けてお祈りをしました。
過去のものを捨て去って、自分が出てしまったことを悔い改め、お祈りをした時に「御言葉を再現しようとしたのが物語」だと思い出し、それで過去の物語の良いところと間違っていたところを裂くことができました。

このように、少しずつ小説を書く形ができていたのですが。
何故か、私生活のバランスも、信仰生活のバランスもうまく整わなかったのです。具体的にはすべき時にうまく行なえなかった結果、時がうまく合わず行くべき所にいけませんでした^^;
これについて、深く悔い改めながらお祈りしているうちに、あることを思い出しました。

先程書いた「過去中止したこと」の理由は自分がちゃんと書けなかったから、というよりは、「まだ時になっていない」と指導者にアドバイスを受けたことによるものだったということでした。
当時はまだ論文を書けておらず、「研究」と「小説」両方を器用に行うだけの器が私にありませんでした。それで、色々な構想をもらって、人も送ってくださったのですが、ちゃんと行なえなかったのです。
また、当時の自分は信仰的にもまだ危ういところがあり、色々な懸念がありました。それと、小説に落とすだけの経験もまだ得きれていないということもありました。

その指導者の話によるとちゃんと時になれば、自然と自分ができるようになっている。だからその時まで待ちましょうということでした。
この小説を書く事自体には御心が大きくある、ということを様々な働きを通して感じていたのですが、それを「あの時私がちゃんとできなかったことで、多くの人に迷惑を掛けた…またやると言った時にちゃんと助けてもらえるだろうか」という不安が覆ってしまっていたのです。いやはや、なんとも人本的な…^^;

このことを思い返して、今の自分がすべきことをもう一度振り返った時に、もっと先にすべきことが見えてきました。
それで、現在色々なことを進行しています。いや、まだできていないところも多いのですが…^^;

自分の時を悟る=自分の状態をしっかりと把握する

さて、このことから私自身が「時に合わせられない」原因の一つが見えてきました。
それが、自分の時をしっかりと認識できていない、言い換えると自分の状況を正しく認識できていないということでした。
たとえば、「何時に待ち合わせ」ということが決まっていたとしても、「そこに向かうまでの準備の時間」がありますし、「その場所までの移動時間」があります。
それによって、自分がいつから動き出さなければならないかが変わってきます。端的に言えば、待ち合わせ場所に近い人はそれだけギリギリでも良いですし、一駅離れた所にいるなら、電車に乗っていく時間まで考慮して動かなければなりません。

ところが、私は大きな外枠の時間は把握できていても、自分自身の状態はちゃんと把握できていないことが多くありました。
自分自身の状態が把握できていないと、準備するための時間を上手く使えず、その結果時間に間に合わないということが起きていたのでした。

これはもっと大きく、人生についてもそうです。
神様の時があり、自分の時があります。神様は自分の時も考慮しながらすべきことをして働かれます。
ですが、それを自分自身が正しく悟れていないと自分がしたいことをしているうちに神様の時を逃すということになりかねません。
だから、自分自身の状態を正しく把握して、その上で神様の時に合わせて行うべきことを決める、というのが大事になります。

対策

対策としては、今回の経験からも祈って神様に尋ねてみるというのが一つにあります。
神様は自分のことをよくご存知なので、正しく答えをくださいます。今回も自分の状態を思い起こしより優先させるべきことに気づかせてもらいました。
また、信頼できる人に相談してみるというのも一つの手です。自分のことを客観的に見られる人からの相談はとても重要になっていきます。ただし、自分のことをすべて知っているわけではないので、鵜呑みにしすぎても行けませんが^^;

自分の状態を正しく悟れば、自分がすべきことも自ずと見えてきます。更にいうと、自分のすべきことの必要性も実感できるのでやりたいという気持ちも湧きますし、神様も助けて下さいます。
なんか上手く行かないな、と思った時には立ち止まって今自分が何をすべきなのかを確かめるということをして見るのは如何でしょうか?
(特にADHD気質のある人は自分のしたいことをしてしまって、見失うことが多いので…^^;)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。