バイト先の事件を通して見る「救い主」の立場。

こんばんは、satoです。
本日は学生だった頃にバイトであった出来事を通して感じた「救い主」について書きたいと思います。

その日もそこでバイトをしていました。
頭の中で論文にしている問題を考えつつ、いつもどおりに作業を進める私。
作業はいつもより早く進めることができて順調でした。そう、あの時までは…。

いつもなら、もう一人のバイトが来る時間。
しかし、その人はなかなかやって来ませんでした。若干雰囲気が悪くなる現場…。
以前、GWの中日にもこういうことがありましたが、今回も同じ人です(^_^;)
しかも、話を聞いてみたらどうやら私のいない時に急病で来れなくなった時があったそうで、その時も連絡を忘れてしまいパートさんと現場のバイトさんが大変なことになったのだとか…
(後で本人に聞いたらちょっと重めの病気だったみたいで、連絡が取れなくなるのもやむなしかな、とは思いつつ…)
このために、本日も雰囲気が良くなくなっているみたいでした。店長からも雷雲の音が…(つまり、怒りオーラが出ていました)

私が一番願うのは皆が平和であることです。喧嘩している人がいたら、私が敵役になって二人に共闘させて仲良くなってほしい…なんて小学校の時に考えたくらい、喧嘩していたりギスギスしているのが嫌でした。
そんな私にとって、こういう状態はあまり好ましくありませんでした。私にどうにかできる問題でもないですが、ひとまず「神様の心が…」とか「どうか穏便に済みますように…」とかお祈りしていました。

そうこうしているうちに本人が到着し、すぐに店長のところへ。
それを見て、どうして人は叱るのか…とか考えていたのですが、瞬間悟りが来ました。

あぁ、店長が叱らないとむしろ現場のパートさんのイライラが溜まって、もっと現場が大変なことになるんだな…。

店長が責任を持つことで、この場所が少しでもスムーズに仕事が出来るようにしているんだな…。

確かに、店長が叱らないと、周りのパートさんがあれこれ言うかも知れません。そうしたら、本当に現場は最悪の状態です。
私としては本当に一番避けたい状況…(´・ω・`)

このように、救い主が叱ることで、あるいは神様が叱ることで、むしろその場所にいる他の人もその人も楽になるんだな…。

こうやって、救い主が責任を負うんだな…と感じました。

そして、店長のところから戻ってきて、現場入りするその人。
周りのパートさんは…いつもどおりに迎えました。

それを見ながら、あぁ、許しってこういうことなんだ…と感じました。
たとえ、その人が悪いことをして離れてしまったとしても、戻ってきた時にはいつもどおりに良く接してあげること。
それが、一番最高に物事が回る方法です。過去のしがらみとか失敗をいちいち責め立ててもなんにもなりません。
そして、店長が責任を持つことによって、本当にこの場所を治めてしまったのだな、と関心しました。

上に立つ人は、その分責任が多いです。
現場の状況を把握し、欠員が出た時現場にいる人の心をうまくとりなし、足りないところを補い、場合によっては自分も出てくる…。
そうやって一つのことを回しています。
それなら、全人類の救いを任された「救い主」はどれほど責任を負っているのでしょうか?
どれほどの状況を把握して、一人一人のことを考えて、足りないところを補ってくれているのでしょうか?

そんな救い主に私が出来る最高のこと、それが自分の位置で分かって行なうこと。
自分がどんな時でも任された仕事を行い、その人の考えに合わせて動き、足りないところをその人の体となって行なうことです。
実際、私も遅れてきた人のフォローをしつつ、自分がすべきことをしていました。そうして今日もしっかりとバイトを終えられました。

こうやって、大変な状況の中でも学ばせてくださったことに感謝します\(^o^)/
そして、祈ったことが良かったのか、はたまたお疲れ様の意なのか、それとも皆のためかいつもより多く「ご褒美」ももらえました(笑)感謝します\(^o^)/

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。