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出来ないことを責めない、だけど然るべき時に叱る

おはようございます。satoです。

勉強ができないことで自分を否定をしないで 〜あなたを愛する神様がいるよ〜

今日はこちらの記事について教育に関わる私が感じたことを書きたいと思います。

出来ないことを責めない

まず、私が御言葉を聞いた上で勉強を教える際に心掛けていることとして「出来ないことを責めない」というものがあります。
つまり、「どうしてこんなこともできないの?」とは言わないことです。
たとえば、受験間近の子が基本的なことをミスしていたとしましょう。このときに「こんなのもうできてるはずでしょ!」と言われても、できないものは仕方ありません。ただ落胆させるだけです。
実際、私もバイトでそのような現場を見て心が痛かったです。
なので、丁寧に教えてあげるようにしています。

真理の森の数学セミナーを書いてる際も、実はこの「間違えることを責めない」、もっと言うと「間違えてもいい」ということは心掛けてます。なので、キャラの言葉にはミスが多いです。
このエピソードもいずれ書きたいと思ってます。
(ただし、書く私がミスするのはダメです…気を付けないと)

叱るとき

だけど、同時に私としても言わなければならないときにはしっかりと叱らなければなりません。
それは、私の仕事上「出来なくても良い」というわけにはいかないからです。
もしできない状態が続いたとして、それで叱られなかったら「出来なくても良い」と思って考えることを放棄してしまうかもしれません。そうなれば、その先の未来、もっと高い次元のことを学べなくなります。

もちろん一生懸命頑張ってしてたのだけど出来ないならば、その時はもっと教えます。どちらかと言えば喜んで。
だけど一生懸命しようとせずに出来ないならば、まずはちゃんと努力するように、と叱ります。
言い方には気をつけなければなりませんが、(そして、これは私もまだ完全ではありませんが)然るべきときには叱る必要があります。それは「その人を思う愛で」しなければなりません。

また、そもそも勉強をしないとか、すべきことをしないとか、そういうときにも叱ります。(叱ってしまいます)本当はその原因を突き詰める方がいいのですが(´・ω・`)

イライラする原因

最後に、麦わらさんが見かけたときの状況について一考しました。
実は私も、恥ずかしながら「子供をイライラさせ、落胆させるような言い方」をしてしまうときがあります。

それは…「自分に余裕がない」ときです。
たとえば、「上司の目が気になる」「叱らないと自分が怒られる」「そもそも子供達が多い」など、そういう自分に負荷がかかっているときに出来てない子を見ると過度に叱りつけることが多いです。
私自身、今の仕事を始めた当初は「しっかり生徒に授業を受けさせなければならない」と言われ、周りから「駄目なやつ」扱いをされたくなくて、結構なプレッシャーになってしまいました。
その結果、あまりうまく授業を進めることが出来ませんでした。
最近は、場所が変わって先輩ともよく相談しているおかけで少し余裕ができました。まぁ…なかなかに授業がうまく進められないのですが…(´・ω・`)

特に親は過度に世間体を意識してしまったり、周りと比べてしまったりで余裕がなくなってしまいます。そうなると、子供達に強く当たってしまうことも多いのかな、と推察します。
この辺り、続きがあるようなので、麦わらさんの続編を待ちたいと思います。

まとめと本音

本当のことを言うと、勉強なんかできなくても神様は愛してくださいます。勉強ができればそれに越したことはありませんが、それより大事なのは「存在すること」です。
鄭明析先生も勉強は出来なかったけど、誰の目から見ても落ち度のない生を生きています。

だけど、鄭明析先生が神様を信じて生きてこれた理由は「常に学ぼうとする姿勢」にあると思われます。
誰に対しても謙虚で、話を聞く姿勢があるからこそ深いことを学び、尊い生を生きられるのです。
そして、その姿勢は私達教育現場に立つものとして…自分たちに必要であると同時に「子供達にあってほしい」と願うものです。
それをどのようにしたら身につけられるのか、それは今の私が本当に知りたいことでもあります。

叱る必要があるときもありますが、それでは解決しないし、たいてい摩耗します。
やはりもっと気楽に勉強できる環境があるといいよなぁ…なんて、私は思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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