放牧と放縦は違うのです。

おはようございます、satoです。

教育関連の仕事を幾つかしていますが、その中で最近感じるところは放牧と放縦の違いです。
どういうことかといいますと…。

これまで私は「自分自身が尊重されなかった経験」もあって、子供の意思を「尊重すること」を意識していました。
具体的には子供たちの良いところを見ようとしたり、子供たちの理由を聞いてあげたり、ということです。これ自体は摂理で鄭明析先生から教えていただいた方法でもあり、子供たちにとっても、自分にとっても良い教育の方針です。

ところが、自分は尊重しようとするあまり無条件子供の言うことを鵜呑みにしてしまうということが多かったです。
自分が許容できる範囲ならある程度話をしていても放置したり、言い訳をそのまま聞いてしまうこともありました。
その原因は「自分自身がうまく分別できない」ことと「コントロールをしなければならないところでできていない」自分の能力不足というところがあると思います。
その結果、うまく授業が組み立てられず、崩壊寸前の状態になることもしばしばでした。

難しいところですが、ちょっとした「間違い」を許容すると、子供たちはどんどん「間違った方向に」進んでしまうことが多いです。
こういうのを「放縦」というのです。
それでは放牧というのはどういうことか、と言うと間違った方向に行きそうなときは随時修正して、子供たちが正しい方向に行けるように導くことです。
やってみて分かったのですが、これは自分の色々な能力が必要なことです。言い換えると、放牧によって育てている人は相当すごい、ということです。

ここまで書いていて、全人類、特に私のようなあちこちに衝動的に動き回る人を「放牧」し、自ら正しい道に行けるようにしてくださっている神様がどれほど労苦なさっているのかを、しみじみと感じます…。
本当にお疲れ様です…(´・ω・`)

最近は自分自身の幼少期の寂しさの問題が解決されたこともあって、以前より落ち着いて行動できるようになりました。
しかし、私自身の行い、言動が少しでもおかしいと子供は叱られたと感じられず、むしろ逆効果…ということが本当に多いです。
これまで「いじられキャラ」だった私なので、ツッコミどころが多いのですが…(´・ω:;.:…

もちろん、いじられキャラとして突き進むのもアリなのですが、それも「授業が崩壊しない」範囲での話。
特に今の仕事で教えているところでは、一つの綻びでコントロールが効かなくなるくらいのバランスなので本当に注意が必要です。

結論としては、もっと次元を上げた振る舞いをする、まずは自分がちゃんとするということになります。
こういう成長の機会が与えられているので本当に感謝です。

それに、子供たちと接していると、本当に彼らのエネルギーは希望的だなと思います。
方向は間違っていることが多いですが、その情熱、エネルギーは大人になった私にとって本当に羨ましい限りです。
(…最も、私もかなりエネルギーが強い傾向にあるようで、あるゲスト曰く「あなたは大人しくない!」とのことでした(笑))
その方向をうまく導いてあげるのが私の今いる場所でできる最善のことなのかなと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。