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今日は師の日。人を教える立場から思うこと

こんばんは、satoです。
韓国では今日は「師の日」。自分を教えてくれた恩師に贈り物を贈る日です。
…4月に「ブラックデー」が会ったり、記念日や贈り物を贈る機会が多い気がします(笑)
私も人に勉強を教える機会が何回かありました。
学校で友達に勉強を教える(半分は答案を見せるだけ…)ことも多かったです。
追試になった友達に丁寧に教えたら、追試でいい点数を取って感謝されたこともありました。
また、家庭教師をしたこともありました。
大学で講義の手伝いをしたり、実際に教えたこともありました。現在もあります。
こういうことをしながら思うのは…
如何に自分がわかっていないのか
ということであり、
教えることのもがき
です。
中学校の勉強、テストをしたらいい点は取れるでしょうが、実際に教えようとすると
「これはどうしてそうなのだろう?」
「どうやったらこの解法に導けるのだろうか?」
ということがよくわかっていないことに気づきます。そして、これらのことをひたすら考えます。これは自分の専門である「数学」でも同じ。
たとえば、三角関数や指数関数。
三角関数の定義がどうしてそうなるのか?
そもそも指数って、なんだろう?
ここで何を教えたらいいのだろうか?
そういうことをずっと考えながら、本当に本当に、もがきます。
採点して、答案を作り、どうやって授業をするか考え、授業案を作り…。
毎週毎週、無知との格闘の繰り返し。
そして、授業で多くの人に教えます。
どちらかといえば、一人にしっかりついてわからないところを一つ一つ付きっ切りで教えるのが好きなのですが。
でも、はっきり言葉を話しながら、伝えます。
周りには寝ている人も多いけど、ちゃんと聞いてくれる人もいて。
その子を見ると、トークに火が付きます。一人で話しているだけだと講義にならないのですが…(笑)
こういう準備をしながら、鄭明析先生のことを思います。
私は週一回の授業を準備するだけでこんなに深く考え、授業案を何ページかにして書くのに、鄭明析先生はそれ以上の時間の御言葉を伝えています。
それも私は数学の知識を伝えるのですが、先生は「神様について」伝えるわけです。神様を真摯に信じる人にとって、これはどれほどのプレッシャーでしょうか?
わたしも「数学の専門家」として教えるので、やはり間違ったことは話せない、というプレッシャーがあります。まして「神様が見てる」と思ったらどれ程でしょうか?
それでいて、あの笑顔。毎日準備しながら、新しいことを学びながら、すべきことをしながら、しかし感謝と喜び、愛が溢れています。
同じ人を教える立場として、鄭明析先生がいかに凄いかを感じます。
わたしも仕事をしながら、鄭明析先生の御言葉が浮かぶときがあります。
たとえば「人のできないところを見るのではなく、できるところを見なさい」
テストを採点すると、「ここを間違うか…」という答案を見ることがあります。わたしが採点をしていた当初はそれにツッコミを入れていましたが、この言葉を聞いてから「ここまではできてる」に替えてやってます。
そうすると、心なしかみんなできているように感じるのです。心も楽です。添削は変わらず厳しいですが(笑)
そして、授業も心なしかみんな聞いてくれているように感じるのです。
見えないところですが、こういうところで愛するかで変わるんだな、と鄭明析先生の御言葉の威力を実感しました。
というわけで、わたしの仕事から悟ったわたしの師、鄭明析先生でした。
…わたしの師、というには全く足りないわたしですが(((^^;)もっとがんばろうっと。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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