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空想による「解離」について。

空想による「解離」について。

おはようございます、satoです。

今日は発達障害と関連して…いるのかどうか分かりませんが、現在私がもがいているところについて書いていきたいと思います。
題して「空想による解離」についてです。

空想による解離

私は元々「現実と空想の感覚が曖昧」なところがあります。
外界からの視覚以外の刺激、とりわけ痛覚や触覚が少し弱いため、私の場合「視覚情報」によって物事を習得してます。
そのため、「見える」空想と現実の区別が少々弱いです。

昔、私は人間関係における問題、言葉による苦痛等によって、色々ストレスが溜まっていました。
当時はそこまで気にならなかった、ように感じていましたが、実はこの時点で私は「空想の世界に逃げ込む」ことをしていました。
より正確には、「無意識下で」空想世界にいたのです。

空想世界、というのはとても「心地よい」です。
まるで、夢を見ているようで…むしろ「白昼夢」に近く、脱力します。
そして、空想によっては現実と異なる世界で自由になるため「全能感」を感じることもあります。
私の場合、「異能力バトル漫画」が異常に好きで、「異能力を持って戦う」キャラを作り出しては楽しんでいました。
それこそ、私にとって「心を守る防波堤」になっていました。

外からの刺激とは違って、私は心のセンサーがとても敏感です。それ故に傷を受けるのが怖く、守るものが必要でした。
「自分の想いを聞いてくれなかったらどうしよう」という不安、「一人でいる寂しさ」、それを回避するために、自分は自分と対話する「空想上の友達」を作っていました。
そして、彼らが存在するための世界を構築し、その世界と現実をリンクさせながら生きていました。

このように「ストレスから自分を切り離す」ことを心理学用語で「解離」といいます。
この解離が激しくなると「自分と異なる人格」を生み出す、いわゆる二重人格を持った人が出てきます。

解離の危険性

現実から逃げることは、一時的に心の平安を取り戻します。
そのことが全く悪いこと、とは私は思いません。辛い時、悲しい時、それを受け止め切れず逃げることで心の均衡を保つことが必要な時はありますから。

だけど、それを長期的に続けると、次第に「現実に生きる気力」を奪われてしまいます。
現実のことを忘れてしまい、いつしか「大事な物」を失ってしまいます。若い時間、バイトの時間、テスト、そして…自分の将来。

幸い、私は摂理の御言葉を通して神様と出会い、神様の愛を受けて昔の寂しさ、苦痛を乗り越えることができました。
だけど、自分の「空想による解離」は癖になって、今でもそれを完全に捨てきれずにいます。
それがひどくなると、現実のことを行う気力が奪われ、時たま大事な予定をすっぽかすことも起こりえます。(私はごくたまにそれをやらかします。実は今日も…(´・ω:;.:…)

空想。
それは、過去受けた苦痛という経験を通して得た「不安」から来るものです。
その痛みを押し殺してということは難しいと思います。まずは「傷を受けることを怖く思う」自分の心を理解して、それと向き合い、一つ一つ行うことだと思います。

「空想の住人」であった私は、今「現実世界」で生きるための訓練をしています。
現実世界では色々なことをする必要があるのです。

空想から無理に出ようとしなくてもいい。だけど、そのままいたらいつか全てを失う。
だから、まずは「自分の心の奥底の恐怖、嫌なこと、感情」を認め、共に抱きしめることから、だと私は思うのでした。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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