何をやるにも順番が大事、かも?

おはようございます、satoです。
本日は最近信仰生活をしながら気づいたことがあり、それをまとめたいと思います。

例えば、主日礼拝に出られなくて御言葉を後から補うとします。
私の場合、先日コロナに感染した際体の調子があまり良くなく、座っていられない状態だったので後で補うことにしたのですが、体調を回復させた後しばらくこれができませんでした。
具体的には「早く御言葉を補いたい!」という私の心に対して「体が思うように動かない…」という感じでした。

こういう時の私の心は「一刻も早くそれをやりたい!」というものなのですが、この際実は踏むべきステップを一切踏まずにいきなりやろうとしてしまう癖があります。
少なくとも、私の心(と魂体)はすでにやっています。それくらい気が早いのです。
しかし、それを行うための肉体の動きはもちろん、信仰的にも整えるべきものがあるのです。それを結構抜かしがち。
おそらくは私の特性、発達傾向もある程度影響していますが、とにかくショートカットを決めようとしがちです。

先ほどの礼拝の御言葉で言うなら、まず布団から起きて、シャワーを浴びて体を綺麗にして、服も礼拝用のものに着替えて、部屋を変えて(片付けるほどの元気はなかった)、やっと御言葉を聞けました。
スッキリはしたものの、とても準備が必要だなぁとも感じました。こういう「手軽に、気楽に接したい」と言うのは私の結構悪い癖なのです。もちろんこのように接していい時もありますが、礼拝の御言葉のように価値が大きいもの、大事なものはしっかり迎えたいのです。

他にも「自分の中で順番がある」けど、どうしても心理的に抵抗が高いもの(自己都合による予定変更をお願いするときとか)は後回しにしがちで、それがバッティングした結果動けなくなる…というケースもありました。
ちゃんと最初にすべきことをやると、連鎖的に後の大変なこともできるようになっています。不思議なことですが。

このように何かやらなければならないことがあって、それなのにどうしてもやる気が起きない、とか動けない、と言うときは「実はそれより先にしなければならないことがある」可能性がある、物事には順番があるのではないか?と言うのが最近の私の気づきです。
これは世間一般でいう「やる順番」だけでなく「実は神様が用意していたこと」を見落としているなどのケースもあり得ます。
今まで「怠け者」だと思っていた私ですが、実は「順番を抜かそうとして先走りしていた」可能性があると言うことがわかりました。動けない時は「他にやるべきことがあるのでは??」と考えてみます。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。