satoの数学小説シリーズ「真理の森の数学セミナー」絶賛更新中!

飾らない、その姿で。

飾らない、その姿で。

おはようございます、satoです。

私が摂理に来てからはや9年が経とうとしています。
私自身が何かできた、ということはありませんが…人々は私を見て「安心」してくれているところがあります。

たとえば、私は色々なところで子供たちに数学を教える仕事をしています。
最初は色々不慣れなところもありましたが、どうも子供たちからは良く思われているようだ、という話を聞きました。
実際、私が教えている子供たちは私のことをよく思ってくれています。ちょっと安心(*´∀`)

ところで、ある時いつもと違う子供たちに教える機会がありました。
いつもと違う場所で急に教えることになって少し焦りましたが、幸い他の職場で教えていた内容と被っていたのでそれをうまくアレンジして教えることにしました。子供たちも比較的数学が得意な子が多く、とても楽しかったです。
その後、いつも教えている子達から聞いた話によると、そこの子達も自分のことをとても気に入ってくれた、とのことでした。
ちょっと嬉しい半面、一体なんでそんなに良かったのだろう?と少し疑問に思いました。

それで、今日たまたまその理由を聞くことができたのですが…。
それは私が「授業中に受けた質問を真剣に聞いて考えてくれた」こと、のようでした。
確かに、私が授業した時にある子からとても良い質問が出ました。私自身もすっかり見落としていたところで、考えた末にちょっと曖昧な答えしか答えられませんでした。個人的には「あー、そこもちゃんと考えておくべきだった」と思っていたのですが、どうやらその子たちにとっては自分の話を真剣に聞いて考えてくれたということが大きかったようです。

基本、私は教えているところで出て来る質問や意見に対しては真剣に聞いています。それは私自身が「分からない」ところもあるからです。
私は神様でなく人間なので、自分が考えていなかったところ、見落としているところがあり、もしそのことを指摘されたとしても、それは彼らの問題でなく私の落ち度になる、と考えています。
だから、子供たちの話も真剣に聞きます。ある程度分別した上で。

考えてみると、これは鄭明析先生の姿勢でもあります。
鄭明析先生も相手が子供であろうが一人の人間として接し、その言葉に真剣に耳を傾けます。
子供たちからプレゼントをされたら本当に喜ぶし、子供たちを楽しませようと色々してくださいます。その姿は「宗教の教祖」とはかけ離れた「普通のおじさま(笑)」です。

大人になると、どうしても自分の弱いところを見せないようにしようとしてしまうところがあります。
私自身も自分が「先生」という立場なので、ある程度は出来るように見せないといけない、と意識している部分があります。
しかし、人は「できないところを隠す」のでなく「できないところを認め直していく」姿に心を打たれるのです。
その象徴が鄭明析先生なのかな、と私は思います。
私自身も自分と深く向き合い、結構素直になれたところがあります。摂理に来て一番変わったのはこのあたりな気もします(笑)
その御蔭か私と接する人もとても安心してくれている部分があります。
ある時、摂理のことを知った人が私を見た時に「この人は騙す人でない」と思って安心してくれたみたいです。その後、その人は現在も元気に摂理で信仰を守っております。

私自身まだまだ信仰面においては足りないところが多いです。
それでも、人々が私の「飾らない姿」を見て安心してくれるなら、そしてそれによって摂理にいられるなら、それは私を作ってくださった神様に感謝することであり、足りない私の一つの喜びです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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