「間違いを認識できる」ことの祝福

おはようございます、satoです。
ここ最近メディア関連でちょっと(かなり珍しく)怒っていたことがありました。
昨日はその怒りを客観的に文章化しながら、好きなものを見て聞いて過ごし、明け方起きてお祈りしたあと改めてそのことについて考えてみました。そうしたら色々わかったことがありました。

私がこういう「怒る」出来事について、自分が「相手が悪意を持って何かをしている」と認識されることが多いです。
つまり、「こんなことをするのは何か悪い感情を抱いているからに違いない」「悪いと分かっているのにそれを隠そうとしている/認めない」ってことです。
逆に、どんなことでも「相手に悪意がない」と判断される場合は割とすんなり受け入れられます。
このことから悪意・悪感情・悪い考えに対して怒りが起こっているみたいです。

それで、今回怒った理由と言うのが「とんでもないことをしたのにそれを気にするどころか、相手が悪いと主張している」って話だったのですが、改めてこのことについて考えた時に、

これもしかして「本当に自分が悪いことをしたと思っていない、むしろ良いことをしていると認識している」のでは??

と視点が変わったのです。

例えば、私が超有名な人と結婚したとします。私は田舎の出身なのですが、その町にとっては「その人と結婚できるなんて本当に素晴らしいことだ!」となり、それを「町のみんなに伝えたくて」ニュースにするわけですね。
当然、私のこともそこに掲載されます。「この人が結婚したんだ!」っていう名誉なことなので、「当然」紹介されるわけです。
ところが、そのことを私は知りませんでした。それで気づいたら町の周りの人が知っている…だけでなくネットを介して週刊誌に載せられてしまいます。そうしてトラブルに見舞われる…と言うことが起こってしまいました。

(おそらく元々のニュースを知っている方ならなんとなく察しはつくのではないかと思いますが)今回の実際に起こったこともこのような心理で行われたのではないかと私は思っています。
田舎にて過ごしていた自分の感覚による推測ですが、「素晴らしいこと」だから「周りに伝えよう」と考えてこうなったのかな、と思います。したがって、それでトラブルが起きて苦情を言われたとしても「素晴らしいことを伝えたのに、それでどうして苦情が出るの?」と本当に理解できないのかなと言うわけです。
もっとも…それを差し引いても、実際に被害が出ているのに「それについて心が痛まない」のは私の感覚とは違いますが…。

この考察を経て気づいたこと、それが自分が間違っていると気付ける、認識できることがどれほどの祝福なのかと言うことです。
「間違っている」と認識できなければ、そもそも「間違いを正そう」としたり「間違ったことをフォローしよう」と考えることすらしません。むしろ「言いがかりをつけられた」と考えたり、そのまま生活をするでしょう。
しかし、実際には「間違い」が起きているので、どこかしらでトラブルが生じます。そのトラブルが大きくなると収集することがより難しくなりますし、大事なものを失うこともあり得ます。
逆に、「間違っている」ことに気付けたり、すぐに認識できれば「反省」するし、行動を正したり、間違ってしまったことをフォローすることができます。トラブルは起こるかもしれませんが、すぐに対処できて大きな損失をしなくなるのです。

私はこれまで人生で「自分が間違っているかもしれない」という不安を抱えていました。
間違ったことをして怒られ、「殺される」ことを恐れて、不安になって生活していました。
その不安を解消したくて摂理に来て、自分の発達傾向を調べ、自分と向き合ってきました。
摂理の御言葉はむしろ間違いを多く指摘するのでさらに不安が増す…と言うこともありました。

しかし、摂理の御言葉で「何が間違っているのか」を認識できたからこそ、間違ったことをすぐに気づいてフォローしたり、直したりできたのです。それによってどれほど多くのトラブルを回避し、多くの損失を減らせたのか…過去のことを考えるとどれほど奇跡的なことか…。

ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。

口語訳聖書 ペテロの第一の手紙3章9節

間違いを指摘するだけでなく、それを直せる機会を与えてくださる神様です。
単に間違いを指摘し、それはダメだと叱られて終わり、あとは放っておかれる…だと辛すぎますが、そうではなく人や環境を通して直せるように、フォローできるようにしてくださっています。それがどれほどの祝福か…と身に沁みるくらい悟りました。

改めて、過去から今に至るまで私の間違いに気づかせてくださり、それを直したりフォローできるようにしてくださった神様に心から感謝します。これからも間違いを直していきたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。