摂理とオリンピック5。~最後まで見なければ…~

こんばんは、satoです。
今日もオリンピックの話題です。いつまで続くのかって?たぶん…オリンピックが終わるまでだと思います(笑)
さて、昨日はラージヒルで葛西選手が銀メダルを手にしました。おめでとうございます!41歳になるまでメダルに挑戦すること7回…ついにメダルを手にしました。その姿は見る人に感動を与えたのではないでしょうか。
今まで彼を見てきた人の中にはもしかしたら「彼はメダルをとらないだろう…」と考えた人もいたのではないか、と思います。また、葛西選手を応援することをやめた人もいるかもしれません。そうやって昨日を見逃したら、彼のメダルをとる姿は見れなかったでしょう。
逆に、どんなに彼が不調でも応援し続けた人は昨日の姿を見て、もっと強く感動すると思います。
結局、「最後まで」見てこそその人が栄光を得る姿を見るのです。これは神様の歴史でも同じ。イエス様の時もユダヤ教の人たちは彼を異端視し、迫害し、彼が神様の人でない、として殺してしまいます。結局信じなかったことで、イエス様に栄光をお与えになった姿も、神様がイエス様を通して広げた新約歴史の栄光も見ることはできませんでした。
摂理は果たしてどうなるのでしょうか?
私は、そこに「神様が送られた使命者」を見いだしました。この歴史を神様が広げることを見ました。だから、この歴史は必ず栄光の歴史となると確信します。しかし…その姿も私が最後まで「摂理にいてこそ」見られるものです。
勝負は終わりまでやってこそ決まります。勝負は最後までわかりません。羽生くんの時もチャン選手がミスをするまでは金メダルはとれないと思ったでしょう。
最後まで行くこと。これが「未来に成就する希望」を得るための条件です。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。