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摂理人satoの月明洞滞在記2015~総括・人との出会いは…~

摂理人satoの月明洞滞在記2015~総括・人との出会いは…~

神様はどうして一人で生きられないようにしたのか?そして、どうしてその人と出会えるようにしたのか?

こんばんは、satoです。

月明洞滞在記も締めくくりに入りました。今日書くのは、私が抱えていた問題「人やイベントがあるとそれを考えすぎて調子を崩す」に対する解答です。

月明洞には、神様の御心しかない

月明洞は不思議なところで、普通なら会えないような人と会うことができます。今回私は、初めから同行する予定だった人以外にも、今までお世話になった人や今年相談した人に多く会いました。個人的には、あぁ本当にこの訪問が一年の締めくくりなのだなと感じました。

また、月明洞は特別なイベントが多いです。人との交流だけでなく、イベントが様々にあります。

人との出会いにせよ、イベントにせよ、そこには必ず神様の御心、想いがあります。
その出会い、イベントを通して神様が何かを伝えたい、助けたい…そういう想いで人に出会わせてくださるのです。

問題は、私が「何を」意識するのか

しかし、問題は私自身です。私が何を意識するのかによって、その想いを受取ることができるのかが左右されます。

北海道にいる私としては、普段話すだけで会えない人との出会いは正直楽しみなところがあります。というか…むしろそこに思いが引っ張られるくらいです。それ故、人との出会い、交流を一つ一つ、その心の動きまで細かく記憶しようとしてその記憶に囚われてしまう…その結果脳が思考停止状態に陥る、というのが調子を崩す流れになっています。

なので、今回の月明洞滞在では「神様と出会うこと、主について悟ること」を重点的に考え、そこに目的を置きました。そのおかげか、調子は崩しましたが、比較的回復が早かったです。
それぞれのイベント、人との出会い…それを通して神様が何を伝えようとしているのか、それを後からでもゆっくり考えることができるようになったことが大きいのかもしれません。

人との出会いも、イベントも全ては「神様の御心」あってこそ

どうして、私たちは人と出会うのでしょうか?

どうして、私たちは人と交流できるのでしょうか?

そこには必ず神様の許可がなければなりません。神様が許可しなければ、会えそうな時だとしても、会う約束をしても、会うことはできません。そう考えると、今回私が出会えた人は必ず神様が許可してくださったことだし、また神様が何かを伝えようとして、あるいは未来まで考えて出会えるようにしてくださった、と考えるべきです。
実は私も話したい通りに人と話そうとしていた時代がありました。しかし、自分がいくら話したくてもうまく話すことができないという経験を何回も体験しました。それは(半分は自分自身の能力の問題ですが)やはり神様がうまくできないように止めている、と考えるべきだなぁ、と今なら思います。
神様がどうして止めるのか、それは私がそうすることによって私自身にも相手にも害になる可能性があるからです。つまり、私達を守る、という愛の故です。

しかしながら、人はどうしても自分の思い通りにならないと瞬間「寂しさ」や「疎外感」を感じたり、神様が自分を見捨てたのではないか?と考えてしまいます。恥ずかしながら、私も最近そう思う時がありました…。そうではなく、神様の時ではないと考えて、感謝するという認識の転換が必要です。本当に。

すべてのことを通して、神様に感謝と栄光を

人との出会い、イベント、受けた恵み…全ては神様が与えてくださったものです。
それなら私達がすべきことは…そのことを通して一層神様に感謝し、喜び、もっと神様に近づくことです。
その人に出会えたこと、話せたことに感謝。ボランティア作業できたことに感謝。賛美を捧げられたことに感謝。皆で話すことができたことに感謝。
そうすれば、人ではなく神様に近づくから心が楽になります。

私は昔から人間関係に一番神経を使っていました。過去友達だと思っていた人から突然悪口を言われる、という経験をして以来、人を強く意識するようになりました。本来私は人と合わせたくても合わないような人間なのに、無理やり人と合わせていたから、正直苦しかったです。
また、人を意識すると魂体もまたその人に近づく…のではなく神様から離れてしまうので、相当苦しくなります。
だから神様は私にたくさん祈って、このブログを書きながらもっと神様と対話することを願っているのだと思います。事実、そうすることによって神様の思いを知り、もっと神様と近くすることができました。それで、今までに比べて心が楽になったし、自分という存在に対する自信、自己肯定感(存在してもいいんだ、という感覚)を培うことができました。
その上で人と話すなら…話せなくても感謝、話せても感謝だし、本当に神様と離れることはないから心が天国です。

あとは、平素から神様を考えること。今回受けた感覚を生活でも実践すること。そうすれば、月明洞で受けた恵みを毎日生活で味わうことができます。

…と今後のことを私自身に戒めとして話しつつ、この記事を終えたいと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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