摂理人satoの月明洞滞在記2015~総括・私という個性~

私はこの世界に、どう働きかけることができるだろうか…?

こんばんは、satoです。

今回の月明洞滞在は、神様から比べたら小さいですがいろいろしてさし上げることができて、その分大きな恵みを受けることができました。今回と次回は「月明洞滞在を通して受けた答えと今後の方針」についてまとめたいと思います。

月明洞滞在を通して悟ったこと

今回、月明洞滞在を通して一番感じたこと。それは

神様との愛の生活

の感覚でした。
神様に自分ができることをして差し上げる。それによって、神様が答えを与えてくださる。そういった「神様との一対一の感覚」というのが月明洞で感じられました。自分ができることはもちろん足りないけど、それでもして差し上げることを神様がとても喜ばれる。その感覚が分かりました。

そして、この生活をすることによって大変なことがあるけれど、それすら喜び、楽しむことができるということを体感しました。これが摂理における信仰生活、愛の生活の味、ですね。

「私という人材」

もう一つ、今回の滞在を通して感じたのが私が持つ個性についてでした。今回、ある方から

私のブログを通して信仰生活のヒントになった

という話を伺いました。これは本当に嬉しい事でした。(というわけで、瞬間過去記事を精査しようと思ったのですが、すべてを移行することにしました。しばらくは旧ブログにも掲載しますので、気長にお待ちください)
また、今回はお土産を買ったり、ディアボロを披露して皆を楽しませる、笑わせる、喜ばせる、という私のタラントを改めて実感しました。
お土産は以前ブログで書いた札幌農学校クッキーを含む北海道の美味しいお菓子です。これもブログで書いたから受けられた感動でした。そう考えるとブログを通して自分が作られたということは本当に多いな、と感じます。

私がこの世界にできること

このように作られた私の個性を通して、どのようにしてこの世界に働きかけることができるだろうか?

それが、今回月明洞滞在時に聞いた御言葉、そして様々な経験を通して見出した課題の一つです。

実を言いますと、今まで多くの記事を書きましたが、ある一定以上書くと心が苦しくなるということがありました。
数学、物語、ブログの毎日更新…いずれも実行しましたが、ある程度書くと果たしてこれは何のためにやっているのだろうか?これをすることでどれくらいの人に働きかけることができるだろうか?という疑問が浮かぶのでした。

果たして、私が伝えたい事は…いや、私を通して主がこの世界に伝えたい事は何なのだろうか?

確かに、ディアボロ、数学、発達障害…と私は人とは異なる「特徴」を持っています。人とは違う「個性的」な人とはよく言われますが(笑)しかし、ディアボロを毎日しているわけでもないし、数学を研究しているけどそれが全てではない。同じことをし続けると心が苦しくなるのです。

私という個性は、果たして何なのだろうか?そして、個性をどうやって活かして「神様の願い」を成すことができるだろうか?

月明洞から帰ったあと、これについてしばし祈っていました。
そんな時に書いたのが大数の法則を通して聖霊様が語られたことという記事でした。この記事は簡単に言うと人間関係に思い悩む私が勉強していた「大数の法則」について調べるうちに聖霊様から感動を受けるという話でした。

これを書きながら、また月明洞滞在記を書きながら、少しずつ答えが見えてきました。

私が描くべきは、「主との日々の小さな対話」だ

私が発信できるもの、それは

日常の生活に隠れている真理-『祝福の方程式』、神様の愛-

です。

私は、人と異なる視点を持っている、ようです。自覚はあまりないのですが…。
また細かい所を敏感に感じ取ったり見つけることが多いです。特に「目」からの情報量が人より多い気がします。
さらに、一つのことを見ると現実離れした連想をしがちです。
そういうわけで、私が考えていること、認識していることは普通とは少々異なることが多いです。ちょっとメタファー、形而上学的思考に近いです。

 

また、昔から私は素直だ、まっすぐだと言われます。今回月明洞滞在時に聞いた話の一つが

自分の弱さを正直にそのまま話せるのがすごい

ということ。この自覚もあまりないのですが…。ただ、過去自分の心を抑えて苦しかった時期があって、それが若干トラウマ、といいますか…本当に嫌だったので、そのまま感じたことを話している次第です。
そういうわけで、私は少しでも(御言葉にせよ、数学にせよ)納得出来ないことがあると、延々とそれを気にして、時には神様に話したりします。そうすると、聖三位がそれに対する答え、悟りを与えて下さいます。そのおかげで今でも私は摂理に居ます(笑)

これらの性格や特徴を踏まえて私の信仰生活を見ると、

自分が体験したことを(特殊な思考回路を経て)神様と対話しながら真理に近づく

という神様との小さな対話がポイントになっているようです。

その生活をそのまま発信する。それが一番私にできることです。幸い独自の視点から見たことを独自の文章で書いている、それが面白いんだということをある方より伺いました。
でも、ただ私が楽しいからそうする、というだけではありません。おそらくですが、私が疑問に思うこと、引っかかっていることは(それを認識しているかはさておき)実は多くの人が疑問に思っていることでもあると考えます。だから…

私と神様の対話を通して、神様というのはどういう方なのか、神様と対話する信仰生活…言い換えると摂理における「愛の信仰生活」とはどういうものなのかをこの世界に発信する。

それで、神様のことが分かって、近くなれるなら…私にとってこの上ない喜びです。

というわけで、しばらくはこの方針でブログを進めていきたいと思います。これからも私と聖三位、主との対話、その中にある祝福の方程式をお楽しみください(笑)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。