研究者から見た鄭明析先生の姿


おはようございます、satoです。

年度末である3月。来月から新しい年度が始まります。
今年度を振り返ると、研究面でも信仰面でも色々なことを経験させてもらいました。
特に研究を通して自分が成長したことを実感します。

最近聞いた御言葉で興味深いものがあります。
鄭明析先生が御言葉を伝えられる前、山の中で聖書について神様から学んでいた頃。
鄭明析先生は「聖書の御言葉を実践した」ということは知っていたのですが、実は最初文字通り聖書の聖句が成されると信じていたのですΣ(゚Д゚)

よくよく考えると、私が今「聖書が比喩で書かれている」ということを知ったのは、鄭明析先生が悟った御言葉を聞いたからです。
それまで私は聖書に書かれていることが空想のものだと感じていました。
ということは鄭明析先生が御言葉を悟る前には誰も知らなかったのです。無論鄭明析先生自身も。

ところで、摂理に来る前私がそうだったように、すべての人が「聖書に書かれていることが非現実的だ」と考えていました。
それは当時イエス様が来られると信じていたキリスト教の人も、でした。彼らはただ信じることはしても、「雲に乗って来られる」という御言葉があっても雲は気にせずに生きていました。

しかし、鄭明析先生は全ての御言葉が現実に成されると信じて、実際に行いました。

見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。-ヨハネの黙示録1章7節

このように雲に乗って来られるという御言葉があれば、実際に「空に浮かぶ雲」を眺めて主が来るのを待ちました。月明洞は山が多いのですが、その山に雲がかかれば「イエス様が来た!?」と思って駆けつけました。

するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。
-マタイによる福音書17章20節

この御言葉を聞いて、本当に何時間も祈って山を動かそうとしました。
そして、山が動かないのを見て「私には山を動かすほどの信仰もないのか…」と考え落ち込んでいました。

このように、鄭明析先生は本当に聖書を文字通り信じて、それを実践なさいました。
その結果、聖書が文字通りでないということを悟り、神様に聖書について教えてもらおうと祈り求めたのでした。
そうして今の摂理の御言葉があるのでした。

この話、研究者として見るととても多くのことを学びます。
研究する前には成り立つだろうと思っていたことも、実際にやってみると間違っていたということが多くあります。
私も色々予想しましたが、実際に計算するとうまく証明できなかったり、予想と違った結果が出てくることが多くありました。
しかし、その経験から本当に正しい答えを得られるよう手がかりが得られるのです。

時には非現実的な予想が出ることもあります。それでも、まずは「信じてやってみる」ということ。
そして、結果でない時、うまくいかないときでも「正しくない…」と諦めずに、やり方が間違っているからと考えてやり方を変えて模索する。

その姿勢はまさに研究者と言えます。

私も研究者としてこの姿勢を最後まで持っていきたいと思います。

ところで、私も7年間多くのことを経験してきました。
それを通して、自分が最初考えていたこととは異なる感覚を持っていました。
しかしながら、自分は最初に話したことを頑なに守ろうとしていました。この姿勢は間違っていた、ということを指導者の方と話して気づきました。
自分の進路、自分に願われていることをもう一度見直してみる、そういう時期に来たのかもしれません。

それもまた、聖三位と共に研究していきたいと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
霊肉ともに生粋の道産子・摂理男子。数学者を志す大学院生です(・∀・)もう30代間近…。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向。普段見える世界から色々なことを深く考え、悟りを得ることが一番の楽しみ。祈りと賛美大好き(*´∀`*)グルメ巡りと御言葉を基にした小説作品を作ることは私の密かな夢。

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