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摂理と「反省すること」

摂理と「反省すること」

こんばんは、satoです。
人は歳を重ねる毎に責任が大きくなります。というのも、ある程度教えれば「あとは自分でわかるよね?」と言われ、自分が行わなければならなくなるのです。
だから、自分のできていないところを指摘してくれる機会は少なくなります。何故なら、年下の人や後輩は上の人に物が言いにくいし、上の人も「これくらいはわかるだろう…あの歳だし」と考えるからです。
なので、指摘の言葉というのは、実は「自分を反省し、思いなおす」チャンスなのです!指摘される瞬間は心が痛いですが、その時「このままではいけないなぁ」と思いなおす心が出てきます。
人に指摘されたとき、不貞腐れる気持ちになったり、言葉で謝って「可哀想に思ってもらおう」と思うときもあります。でも、それを堪えて「行動で示そうと思う」のが、悔い改めのスタートなのです。あとは行いを変えるだけ。そうわたしは思います。
こう書いていますが、私も今日のバイトで何回も同じミスを繰り返してしまい、パートさんにしこたま怒られたのです。それで、私はめっちゃいじけて…パートさんの話をちゃんと聞きませんでした。何か言われても反論してしまう、という先生の御言葉を聞いている人としてあるまじき行為を…その挙げ句、パートさんに「何度言われてもわからないんだね…」と呆れられる?も「本当にわからないんです」と言ってました。
一回バイトを経験したことで「まぁ、こんなもんだろ」という考えがでて、高慢なところがあったな、とあとで振り返って気づきました。それを反省するなかで上の話に至ったのです。
次からは、気持ちを切り換えて態度を改めていきたいと思うと同時に、神様にもこのような謙虚さで進み出たいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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