おはようございます、satoです。
今日は時を守る、ということについて書きたいと思います。
私は普段の生活における時間を守れないことが多いのですが、その根本を見た時に「優先順位」に関する認識の問題があったな、とわかったので、その問題について深く書いていこうと思います。
時間に遅れてしまう傾向とその原因
私が日々生活していると、「時間に間に合わなくなる」ということがしばしば起こります。
たとえば、10時に待ち合わせと言われたら、10時ピッタリかそれより少し遅く来てしまう…という感じで、少しだけズレてしまうのです。
特に、仕事以外のプライベートでこれが起こりやすいです。
で、その原因を考えてみました。
その一つとして挙げられるのは「プライベートの待ち合わせは仕事ほど重要性が低い」と考える認識です。
仕事に関しては開始時間を遅れることはなく、むしろ少し早く来るくらいです。それによって褒められることもあるのですが…
このことから、仕事で遅れると大変なことになるという認識が強い、ということがわかります。
その一方、こと自分のこと、たとえば「これを出せば自分に得だけど、そうしなくても社会的に問題が起こらない」ということになると時間に間に合わせることが難しくなります。これに加えて、ちょっとでもギリギリになるとか遅れたりすると「相手に迷惑をかけてしまう…」という罪悪感も働き、一層動きにくくなります。で、結局ギリギリに提出して相手に迷惑をかけてしまう…ということになります。
また、一度遅れてしまったあと何も言われなかったりすると、段々と時間を守れなくなったり、すべきことができなくなる、ということもあります。
礼拝の時間もそうです。
私は使命の関係上協会には比較的早く来ます。しかし、それがないと礼拝の時間に遅れてしまう…ということはありませんが、結構ギリギリになってしまう、ということが起こります。
仕事に対する認識と人本主義
この根本的なところを見た時に、自分は仕事に対する重要性の認識が非常に高いということがわかりました。
確かに、仕事の重要性は言うまでもないことですが、私の場合それがプライベートや他の時間より高くなっていて、仕事があれば他の時間を潰してしまう、という問題が起こるのです。
もちろん、仕事に時間を投資して行う、ということそれ自体は悪いことではありません、というかむしろある意味では模範的とも言えます。
しかし、摂理に来て御言葉を通して教えられるのは「すべての根本は神様と繋がっていなければならない」ということです。
つまり、仕事をするにおいても、神様のことを考えて、神様のためにするということが大事になるのです。
ところが、私の場合は「神様のこと」というよりは「人間のこと」を気にしている傾向にある、と気づきました。言い方は悪いですが…「人を見て優先順位を決めている」のだと気づきました。確かに、仕事でトラブルを起こせばひどく怒られる、どころか何かしらの責任を取らされる、ということになりかねません。そうなると「自然と」優先順位が高くなるな、と納得できます。
この根本を突き詰めると、小学校時代の叱責によって「怒られるか否かですることを決めていた」というところに突き当たります。
言い換えると、小学校の頃から根付いていた人本主義が問題となっていたのでした。
人本主義から抜け出すには
神様の目を気にする、というところから始めた方が良さそうな気がします。
神様は時に合わせてすべてのことをなさいます。だから、その神様に合わせて物事を行うと大きな祝福を受けます。
神様は私を愛してくださっているから、叱ることをするだけでなく、愛で見守りすべてを許してくださることもあります。
しかし、本来神様は時間に厳格な方であるので、「時間が来たら何があっても行われる」方である、ということも知らなければなりません。その時が来たら叱ることもなくすべきことをされて終わります。だから、強く怒鳴るということは基本なさいません。
そう考えると「叱られることがすべての基準」という考え、習慣は葬り去らないといけません。
あと、「仕事のほうが大事」という習慣も。
というわけで、まずは「神様が好きだから、時間を守ろう」という認識に転換できるように、お祈りしながら日々の生活を送っていくところから始めたいと思います。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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