おはようございます、satoです。
現在さまざまなところで教育の仕事をしている私ですが、その昔一年だけ高校で教えていたことがありました。
そこでの最後の授業の日、授業のカリキュラムも予定通り終えられたので、最後の方は自由に…具体的な問題を皆で考えたり、私がどうしてここに勤めるようになったのかについて話をしました。
具体的な問題については現在作成している数学小説のネタを使ってやりましたが、久々に皆も楽しめていたようでした。
それで、せっかくなので一年間してきた授業や色々な話をしたことについてアンケートを取ってみたのですが、その結果がとても意外でした。
私自身が「この子はそこまで何も思ってないだろう…」という子が、実は結構私に対して尊敬の念を持っていたり(結構びっくりしました)
「この子は数学が得意そうだな」という子が、実は最初苦手意識を持っていたけど、私の授業を通して苦手意識が薄れてできるようになっていたり
意外と生徒は私のことをよく見ていて、自分の知らない弱点を教えてくれたり。
特に自信をもっと持ってほしいという言葉は、本当に刺さりました。
どうしても、この仕事は苦手で、しかも教える内容をそこまで深められず自信が持てなかったのですが、それに気づかれてしまったようです。
私は教育関連の仕事をするにあたって、一つだけ心掛けていることがありました。
それは子どもたちの目線に立って、一人の人間として真摯に向き合うということです。
これは鄭明析先生が「子供を一人の人間として扱いなさい」と話されていたことを受けてのことです。
もともと子供は好きなのですが、これに加えて子供たちの「分からない」という言葉を大切にしたい、どんどん失敗していけるような環境にしていきたい、と思って一つ一つの授業をしてきました。
「授業中の解説がちょっとずれている(解説してほしいところがされていない)」という意見もありましたが(´・ω:;.:…
どうしても時間配分がね…
それでも、質問に対するコメントや丁寧な解答が良かった、という話を聞けて本当に嬉しかったです。
もちろん、生徒と先生という立場はありますが、私個人としてはそれ以上に…一人の人間として付き合っていきたいと考えていました。
それが成されたことが本当に嬉しかったです。そして、子供たちに神様の愛、その土台を植えられたことも。
この仕事を通して、やはり愛は反応だという御言葉を実感せずにはいられませんでした。
私が子供たちを愛するがゆえに出てくる反応、それを見て子供たちは安心できるのだなと感じました。
(ホントの事を話すと、反応しきれなかった部分もあり申し訳ないのですが(´・ω:;.:…)
実を言いますと…元々この仕事はどうしてもやりたくない、というものでした。
それは、自分自身が子供たちの人生に影響を与える、その責任が重いと考えていたからでした。
実際、ある意味では嬉しいことに、またある意味では緊張することでもありますが、私の授業を通して進路を決めた、という子も何人かいました…(´・ω:;.:…
しかし、それを解決したのは神様の御言葉で人生の目的を知ったことでした。
「この地上で神様を愛する」、それが人生で成されるならば、他の道は神様に委ねるだけ。
それなら、(仕事上直接神様の話ができなかったとしても)神様に出会えるように導いていけば、あとは大丈夫だ、と考えられるようになったのが大きかったです。
今回の仕事でも、少しでも神様のことに気づけるように、神様の愛を感じられるように一つ一つやってきました。
…正直、精神的に死んでいた時はどうしてもやりきれなかった気もしますが(´・ω:;.:…おかげで「数学好き」が全面に出ていたと感じた人もいました。
一年間私を通して子供たちを愛してくれた神様、無事に仕事を終えられるように守ってくださった神様に心から感謝します。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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