聖書研究:コリント人への第一の手紙13章12節(ととある主日の過ごし方)

おはようございます、satoです。
本日は主日ということで教会で礼拝を捧げました。本日の御言葉もかなり深かったのですが、特に「今神様を信じている私自身とその行い」が神様が行われたことの証である、という話が心にスッと入りました。

実はこの御言葉の後、私が苦手なあることに挑戦しました。
数年レベルでやっていなかったものなのですが、今まで「やったほうがいいかな…」とは思っていたのですが、その都度自分でなくても…と思って回避していたものでした。
最初は正直やる気もしなかったし、本当に精神的に苦痛だったのですが、その感情を言語化してもらい、途中途中で励ましも受けながら頑張ってやる気にし、なんとかやりました…_:(´ཀ`」 ∠):

結果が良かったかどうかはさておき、最後には「もうちょっとやってもいいかな…」くらいになったので、だいぶ良かったかなと思います。本当に感謝します…。
余談ですが、その後御飯を食べに行く際途中寄った場所でたまたま「五等分の花嫁」のひこくじをやっていたので、2枚(聖霊の感動に従って)引いたところ、ホログラム賞(ホログラム加工の缶バッチ)が2回当たりました。
で、面白かったのが、その2回とも五月だったんですよね。

もちろん、これは狙っていたわけではないのですが、自分の中ではとても嬉しい気持ちになりました。
なぜかというと、自分の中で五月は「癒し」や「慰め」の経緯があったので、今回も神様が「お疲れ様、よく頑張ったね」と労ってくださる感じがしたからです。今後も続けて頑張ってみようと思います。

話は変わりますが、今週の御言葉の聖句がとても多いのですが、その中でこちらの聖句がありました。

13:12わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。

口語訳聖書 コリント人への第一の手紙13章12節

コリント人への第一の手紙13章は「愛の章」と呼ばれるくらい、愛について詳しく書いてあるところです。余談ですが、私の大好きなゲームの一つ「シンフォニック=レイン」の考察記事の中でこの章が引用されていてとても印象深かったのを覚えています。

この聖句の前には愛とはどういうものかについて書いてあります。
神様が考える愛とは次のようなものです。

13:4愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、 13:5不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 13:6不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 13:7そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

口語訳聖書 コリント人への第一の手紙13章4−7節

「自分の利益を求めず」「全てを忍び、信じ、耐える」…四葉のスタンスってほんとこれだよなあ…と唐突に思ってしまいました。それはともかく、神様を信じながら神様が本当に寛容で、情け深く、恨みを抱くことはないというのは本当に感じます。そして、

13:8愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。 13:9なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。 13:10全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。

口語訳聖書 コリント人への第一の手紙13章8−10節

預言や異言、知識は廃れるけれど、愛はいつまでも絶えることはない、と書かれています。
確かに、知識というのは時代が進むごとにアップデートされますから、いつまでも同じというものではありません。
物理学の理論だけ見ても、昔は絶対時間があると信じられていた(ニュートン力学)のが、段々と時間は相対的なものである(相対性理論)ということが一般的になったりしています。そのように今は必要、正しいと思われている知識も未来にはどうなっているか分かりません。
預言もそうで、やはり時代に合った内容でないと合わないわけです。
そして、時代が来てより完全なものが来ると、前のものが廃れるわけです。それを例示したのが、

13:11わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。

口語訳聖書 コリント人への第一の手紙13章11節

この聖句です。自分達が幼い頃に考えて行ったことの多くは大人になった今はやらないですよね。
それと同じように、あるいは今週の聖句のように、「鏡を見るように朧げ」だった自分自身がはっきり見えるようになるように、完全に知るようになるのです。
余談ですが、この時代の鏡は銅鏡でして、今の鏡と違って朧げに映っていたと聞いています。今だと「鏡にはっきり映る」ようになっていますが、当時の時代性を考慮して読まないといけないわけです。

13:13このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

口語訳聖書 コリント人への第一の手紙13章13節

そういうわけで、いつまでも存続するのが信仰、希望、愛で、その中で最も大いなるものが愛である、と書いてあるのです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。