吹雪の中で広がる摂理歴史。~鄭明析先生による明け方の箴言から~

どうして、歴史は簡単に成せないのだろうか?

どうして、私たちは努力をするのだろうか?

誰かがやってくれればいいのではないか?

自分の前に壁があるとき、このような考えが出たことがない人はいないと思います。
私もよく「こんなに苦労する必要があるのか?」という考えが浮かぶことがしばしばあります。特に大変なときとか、疲れているときとか。
私が頑張らなくても、どうにかなるのではないか?これは本当に私のすることなのか?
そういう考えが出て、迷ってしまいます。

しかし。
北海道には多くの自然があり、見る人を圧倒します。
それは大自然にある木々や花々は冬を越えたからこそです。
あの厳しい冬を越えたとき、その姿がより一層美しく見えます。

そのように、私たち人間の人生もそう。
越えた試練の分だけ、苦労の分だけ、人々が注目するようになります。

そういう意味では私たちの人生は、私たちの生き方が決めていく…そう言っていいでしょう。

オリンピックでフィギュアスケートの高橋選手が滑った生涯最後の演技。
その時は古傷を痛めたまま、肉体的にも厳しい状況。
さらに使用曲の「作曲者偽装問題」という精神的にも厳しい状況。

そんな中、ミスもありながら最後まで笑顔で「観客に見せようとする」姿勢は、見る人に感動を与えました。
それは、メダルという見えるもの以上の価値があったと思います。

そのように私たちも神様の御心を成し遂げ、彼のように見る人に神様を感じさせる歴史を作りたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。