摂理に来て与えられた神様の祝福。~摂理人と神戸大学の経緯。~

こんにちは、satoです。
先週摂理で伝えられた主日の御言葉は
神様と聖霊様と御子は、「人間との経緯がある所」に歴史を広げる
でした。一文を摂理公式サイトマンデー内の鄭明析牧師による主日の御言葉から引用します。
過去、泣き叫んで神様を探した経緯、真理を探し、正しい道を見つけるために願い求めた経緯、
天を見上げて、神様がいらっしゃると信じて生きていた経緯、先祖や親が子孫や子供が栄えることを願っていた経緯、イエス様を信じて愛して生きていた経緯、世の中で生きて「いいものを食べ、いい暮らしをし、いい学校といい職場に行けば人生の目的を成したことなのか?」と考えて、「人生の虚無」を感じて神を探した経緯など、神様は<経緯がある人>を選んで、神様の歴史に呼んできます。

この御言葉を聞きながら一週間
「私って、どんな経緯があったのだろう?」
と思い返しながら祈る日々を送っていました。
そんな中、思い出した経緯がたくさんあります。その中から今回は
私の研究に関する経緯
を書きたいと思います。
私が本格的に研究を始めた頃、指導教官からある論文を読むように言われ、しばらく読んでいました。
ところが、私は
別のテーマをしたいです
と言ってしまいました。無謀にも…。
この頃の私は(英語で書かれていることもあって)論文を読み進めるどころかどこから読めばいいのかもわからない状態でした。その上、私はかなり否定的な考えを持っていたので、ゼミが終わるたびに
論文を読み進められない自分って、本当にダメだ…
と思っていたのです。それが重なった結果、もっと別の「自分が読める」テーマに変えようと考えていたのです。この頃、興味のある分野が別にあったこともあります。
その後、自分が興味のある分野に関連する論文を読むことになりました。
が、私が背景をよく知らず、指導教官も指導できる範囲を越えていたために半年くらいで別のことをしようという話になりました。
そして、ここからテーマを探して荒地を彷徨う羊となったのです…。
ルカによる福音書15章11-14節
また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。 何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。
この聖句のように、まさに「放蕩息子」でした。
それからしばらく経ったあと、神戸大学で行われる研究集会に行きました。
その講演を聞いて、私がある質問をしたのですが…
その答えがわかったら、論文を書けるよ
という答えを聞きました。それから、私はこの問題を取り組むようになりました。
その結果、(当初の問題とは違いますが)指導教官を通しての神様の強烈な助けもあって、修士論文までに結果を出すことが出来ました。この間も相当ギリギリかつスリリングでしたが…話せば長くなるので今回は割愛(笑)
その後、このテーマをひと通りやった私は再びテーマを変えることにしました。
しかし、そのテーマは前にやっていたこととはあまり関連性が見えませんでした。
実は博士課程における研究論文は「共通するテーマ」が必要なのです。いくら論文をたくさん出しても、共通するテーマがないと博士号を取る際には役に立たないのです。(もちろん、研究業績にはなるので論文は出したほうがいいですが)
果たして私はどうしたらいいのか…。
悩んでいた私は、再び神戸大学に行くことになりました。
そこで教授の方と話しているときに
『今研究しているもので『前の研究で求めようとしたもの』は求められていない』
ということを知るようになりました。
そのことで、私の視界が一気に開けました。
そうか、今研究しているものをしっかり完成させたら、前の研究と繋げられるのか…
このことでとても安心しました。
さらに、同席された教授から研究のことや進路のことについて話を聞く機会もありました。
そのことで、私の将来が見えてきたのです。
今にして思えば。
これも神様がその方々を通して行われたことでした。
20150826鄭明析先生の明け方の箴言.jpg
全能者はその時その時、<万物>または<人>を使役者として行なわれる。
だから人々は「自然の現象だ。人が行なった」と言うようになる。
<見えるもの>だけを見て判断しないで、
<見えるものを動かす全能でいらっしゃる神様>を考えなさい。
神様は「その時その時、ふさわしい万物や人」を使って行なわれる。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より@

あなたは、今目の前にあることに集中すればいい。
そう、神様がおっしゃられているのでした。
様々なことを考えて、動けなくなっていた私に、この言葉は本当に祝福だったのです。
こうして、今も私は研究をしています。
人より歩みは遅いかもしれない。けれど、確実に前に進んでいます。
もし、苦しくなった時にはこの経緯を思い出して頑張ろうと思います。
このように私の研究においてもっとも神様との経緯が多い神戸大学。
実は…今年も行くことになりそうです。
今年はどんな経緯ができるのか。その日に備えて、まずは自分のすべきことをやっていきたいと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。