ネットで悪い話を聞いた鄭明析先生のイメージが変わった話

おはようございます、satoです。
最近…といいますか、私が教会に来た時から私の教会…キリスト教福音宣教会(摂理)の御言葉を伝えてくださっている鄭明析先生について、色々誤解されている話を聞きます。
そういえば、私が摂理の教会で礼拝を守るようになってすぐの頃に、私がネットで

「鄭明析先生は性暴力をしている」

という記事を読んで「え、本当に!?」とビックリしたことをよく覚えています。なんだったら、これが、私が鄭明析先生のことを初めて知ったタイミングでした。

前に、こちらの記事で「摂理について悪い話を聞いたのに、どうして今も摂理にいるの?」という話をまとめました。
その中で

その後も祈りによって多くのことが解決され、自分の中で整理できたので、鄭明析先生や摂理についてネットで言われているような事実はないだろう、と私の中で信じるに至りました。この辺の話は長くなるので割愛します。

と書きましたが、せっかくなので…今日は鄭明析先生に対するイメージの変遷をまとめてみたいと思います。

ネットで悪い話を聞いた当初

まずは、ネットで悪い話を聞いた当初の話を振り返りますと。
一言で言うならネットで見た悪い話に基づいたイメージでした。本当にすみません(´・ω・`)

まず、私が摂理に来た2009年5月頃はちょうど鄭明析先生が裁判によって10年の懲役の判決を受けた時期でもありまして。
そのため、私は鄭明析先生が懲役を終えて出てこられるまで、鄭明析先生のことをリアルタイムで見ることはできませんでした。

加えて、当時の私は今より「人より言葉に注目していた」こともあって、御言葉を伝えている人についての興味関心がかなり薄かったという状態でした。
つまり、鄭明析先生に対する関心もかなり薄く…正直そこまで考えてなかったんですよね。
だから、あんまり鄭明析先生へのイメージが変わらなかった状態でありました。

ただ、上記の話は言い換えると「あんまり鄭明析先生の情報を深く考えることがなかった」とも言えまして。
どちらかと言えばカルトと言われている危ないところに自分がいるんだ…という不安のほうが強かったこともあるのと、以前の記事にも書いた通りイエス様の愛について伝えられる御言葉が(少なくとも祈りについては)正しいだろうという感覚があったので、それ以上悪くなることもありませんでした。ちょっと悪い寄りのフラットな感じです。

これは、何回かこういう話をした際にひとまずちゃんと確認してみてほしいと言われたり、悪い話を聞いた直後に正しいことを見ることができるようにとお祈りをしてもらったことが大きかったですね。それがあったので、神様もこれ以上自分の悪いイメージで判断しないように切り分けられたって感じがします。

ただし、ふと鄭明析先生がこっそり悪いことを企んでいるのでは…?なんて悪い空想が思い浮かぶことがありました。
私は基本悪いことが浮かんだらそれを繰り返し考える傾向にはあるんですが、これはそのパターンです。
それが定着しなかったのは、ひとえに悪い話を聞いた直後にお祈りをしてもらったからだと思います。
自分も来て間もない頃だったのにお祈りしてくれた彼には感謝しております。本当に。

摂理に来てから2,3年経った頃

そんな感じで摂理に来て2,3年経ちました。
その間も鄭明析先生について直接見たことはありませんでしたが、少しずつ悪いイメージは薄れていきました。
その理由はいくつかあります。

まず、一緒に信仰生活を守った人たちがみんな悪い人でなかったということです。
基本的に悪口は言わず(いじられることはありましたが(笑))、自分のことを否定されることもありませんでした。何かを止めなさい、と言われたことも殆どなかったですね…優しく、面白く、とにかく不快にならないように私と話してくれました。
実は私…一度でも嫌なこと、自分が傷つけられることがあったらそれをかな~~~り引きずるタイプです。
一度でもそれが起きたら、それがフラッシュバックのように蘇って、またそれが起こるのでは…と不安になって、それがずっと考えられて苦しくなります。
なので、そういうところにはずっといられないわけです。

そんな私が、2,3年過ごしていてまったくこの感情にならなかったのは、当時所属していたサークルと、ここくらいです。つまり、それくらい私にとっては「安全な場所」であったと言えます。
別の言い方をすると、鄭明析先生が私に直接害を与えることがなかったとも言えます。

もう一つ、聞いている御言葉を通して神様の愛を感じられる…と言いますか、神様が「すごく愛に溢れた方」であることが伝わるものだったし、色々なことと繋がって楽しかったというのがあります。
だから、御言葉を聞いていて割と良かったと思います。

こういうわけで、鄭明析先生に対する悪い感情はだいぶ薄れて、「ちょっと信頼できてないなぁ」くらいのものになりました。どちらかと言えば信頼はしたいのだけど、引っかかっている部分があるから動けないって状態です。
私はどうも、引っかかることがあると本当にそれが気になって動けないんですよ…。

鄭明析先生に対する考えが変わったきっかけ

そんな中である日お祈りをしていました。鄭明析先生について信頼したいけどできない、そんな状態でお祈りをしていた時、ふとこんな考えが浮かびました。

あれ?そもそも鄭明析先生が10年の懲役刑を受けているのはなんか変では?

この時に思ったのはもし仮に鄭明析先生が本当に性犯罪をしていたとして、それで10年の懲役刑は重すぎるような気がしたということです。当時ですと、私の認識では性犯罪をした場合でも懲役10年は相当に重い犯罪でないと起こらないと思ったのです。(念のために言っておきますが、性犯罪がとても重い犯罪である、ということは当然のことです)

それなのに10年の懲役刑という重い判決を受けているのにはなにか理由があるのでは?

というようにして、鄭明析先生が性犯罪をしている、という考え(誤解)は私の中で解けました。

その後、改めて裁判について調べてみたところ、訴えていた人の一人が「嘘でした」と訴えを取り下げている、日本の週刊誌を証拠物にしている、そもそも訴えている人を主導しているのが摂理を反対する人、極めつけは「鄭明析先生が宗教の指導者でなければ無罪だった」と裁判官が話している、というツッコミどころだらけの内容だったんですよね。

詳しくは「摂理の真実」を読んでいただければ幸いです。

端的に言うと、鄭明析先生の性犯罪は「冤罪である」というのが私の現在の認識です。これは現在の裁判でも同様です。

鄭明析先生に心を許すようになったきっかけ

と、誤解が解けたのは良いですが、そこから鄭明析先生を信頼し、心を許すようになるまではまた時間がかかりました。
なんせ基本的に会ったことがある人でも、相当時間を掛けるか多く自分の本音を話さない限りは心を許さないくらい警戒心の高い人間、かつ人に対する関心が薄いので…。
鄭明析先生と直接対面することができなかった私が、心を許すようになった経緯、それは唯一つ。
鄭明析先生が当時やっていたと言われることを、全く同じように自分もやってみたことです。
具体的には、当時鄭明析先生は正座をしながらボールペンを使い切るまで御言葉を書いていたと聞いたので、それをそのまま自分もやったんですよね。

鄭明析先生は一日に何本もボールペンを切らせるほどに書いたとのことでしたが、私は当然そこまではできませんので、時間がある時に少しずつやっていきました。結果的にA4用紙16枚(かなり小さい字)を書いて、ボールペンが切れました。

その中で、お祈りした時に鄭明析先生が自分をおぶってくださっている幻を見たんですよね。
それは、鄭明析先生が御言葉を通して自分を支えてくださり、導いてくださったことを象徴していました。
その愛に触れて、ようやく私は先生に対して信頼し、心を許すようになったわけでした。

ちなみにこのときが2015年なので、摂理に来てから6年後に、鄭明析先生のことを信頼するようになったのでした。

実際に鄭明析先生を見て思うこと

それから、鄭明析先生が出てこられて月明洞におられるようになったことで、私もリアルタイムで鄭明析先生を見るようになりました。月明洞に行った時は直接お会いすることもありました。残念ながらお話ししたことはないのですが…(´・ω・`)
そんな鄭明析先生を見て思ったのは、一言。

この方、本当に純粋な幼子のような人だな…悪意がまるでない。

ってことです。とにかく神様が好きで、喜んでいる時に本当に嬉しいという気持ちが伝わってきます。
本当に神様のために行うことが好きで、それが伝わってくるのです。とにかく神様第一、イエス様第一。

自分が信仰生活をしていて、直接見た上で鄭明析先生がどう動くのかトレースした時に…人を傷つけたり、悪口を言ったり、人に害を与えることはしない…いや、できない人だなと感じています。無論、性犯罪とは無縁ですね。
私もこのタイプですが…こういう人は人が傷つくことを見ると自分も傷つき、苦しむ、むしろ自分のためにも人を助けてしまうタイプです。
ただ、私とかと違って、鄭明析先生の場合は自分もちゃんと愛されていて、自分の中にある愛がしっかりあるから揺らがないとも思います。私はどこか自分を大事にしないことがあるけど、鄭明析先生はそれがない。とても自由に、自分の状態を隠さない人だな、と。

以上が、摂理に来てから今に至るまでの鄭明析先生の私のイメージでした。

無論、私の見ている鄭明析先生が全てとは限りません。私が見ているものは一部でしょうから。
ただ、私が見ているもの、特に「神様第一」と「愛が溢れた方」は割と鄭明析先生の本質だろうな…とは思っております。
これをご覧になった方の参考になれば幸いです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。