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「信者」になるのが嫌だった私が「摂理」という宗教に入れたことへの感謝(*^^*)

こんばんは、satoです。
私は摂理に来る前「信者」と呼ばれる人たちが嫌でした。
何故かといいますと、「自分の持っているものが最高で、他のものは価値がない」という排他的な姿勢が嫌だったからです。いや、それを心でだけ思っているならまぁいいのですが、それを言葉にしたり行動にするのが好きではなかったのです。特に「アンチ」(つまり、そのコンテンツが嫌いな人たち)や知らない人たちにきつく当たるのが嫌だからです。一方でアンチ側の「そのコンテンツを全否定する」言動も不快でした。
それとは別に、私が「信者」になる、つまり「何かにどっぷりハマる」のも嫌でした。「アンチ」にもなりたくなかったです。
それは、「自分も他の人に攻撃するのではないか?」という思いもありますが…。もっと言葉に出来ない抵抗感があったんです。どちらにも偏りたくない、という思いでしょうか?
そんな私が、摂理という「宗教」を信じ、それに基づいて生きているのは…「信者的でない」信仰だったから、なのです。
…いや待て、これってどういうことなんだ?
ここで、信者、という言葉について考えてみましょう。
信者。
「○○教の信者」というように、本来なら宗教を信じている人をさして使う言葉です。
そういう意味では私は「摂理信者」ということになりますね。
ところが、今では「テニプリ信者」とか「ジャニーズ信者」というように「宗教とは限らないコンテンツに対して、熱狂的にハマっている人」をさして使われています。主にネットで使われています。
特にアニメや漫画、ゲーム、そして芸能人の掲示板でよく見ます。オタク御用達の言葉です(笑)
信者という言葉は、実を言うと「本人」ではなく「その人を外から見ている人」が使う言葉です。先ほどの掲示板でも「信者」という言葉はファンの掲示板ではなく「アンチ」、もしくは「中立的な立場」の掲示板で多く見かけます。
ここで、○○信者というのは「盲目的に○○をいいと思う」状態とします。
その人にとって、○○は「生きがい」であり、自分そのものというくらいハマっている状態です。
だから、グッズもたくさん買うし、イベントには全部参加する。DVDや原作を全部揃えるのは当たり前、「閲覧用、保存用、布教用」と3つ買う…ってこれはアニメの話だ(笑)
大体信者って呼ばれる人は「自分の人生を捧げて、そのコンテンツを応援している」熱心な人なのです。
ただ、私が見た時には…なんだか「人生をダメにしている」ように見えてしまって。
なんというか、もったいない。人生を損している。もっと豊かな生活を送れるはずなのに…。
そう、アニメや芸能人などは「人生のおつまみ」であって、メインは「実生活」、つまり「人との交流や仕事、勉強」なのに、それが逆転している…そういう状態が嫌だったのだと思います。
ここまで聞くと、私が摂理の信仰を「信者的でない」と表現したのが少し見えてくるかもしれません。
摂理で鄭明析先生が教えてくださる御言葉は、常に「生活と密着」しています。そして、すべてのことを「盲目的に」否定しませんし、「そのことをしている人を尊重して」話されます。たとえあること(タバコ、お酒とか)をするな、という言葉があっても、それが(健康とか時間を無駄にするとか理由があって)「その人のことを思って」伝えている、ということがわかります。
そういうところだったから、なにかを信じるのが嫌だった私が今までいれたのだと思います。そして、今本当に幸せを感じています。
そのことを、本当に感謝しまーす!

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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