一番の証は「実際に行うこと」。

おはようございます、satoです。

私が摂理で信仰を持っている、ということを明かした上でブログを書いてから多くの時間が経ちました。
これまで多くの記事を書いてきましたが、書いていて思うのは

自分が実際に体験したこと、感じたことを書くのが一番書きやすいし、一番力がある

ということです。
自分の心の回復過程や、神様が働きかけてくださったこと、自分が変化したことなど…そういった記事を書くのが一番わかりやすいです。
もちろん物語の感想や御言葉の要約なんかも書きますが、自分が読んでいても、書いていても、一番力があるのが「自分が実際に体験し行なったこと」なのです。
つい最近、教会に行っていない人に私がこれまでに一番実践しようとしてきた鄭明析先生の御言葉を伝えたところ「すごく心に響いた」と話がありました。やはり実践が大事なのだと思うのと同時、鄭明析先生が実際に行ってきたからこそより力があるのだなぁとも思うのです。

少し話が変わりますが。

神様が存在し、この御言葉が正しい、ということをどのように証明できるでしょうか?
数学を研究していると「言葉によって」論理的に証明する傾向に流れがちです。
確かに、論理的にこの御言葉が正しいことを立証することも可能だと思います。

また、神様の働きを証する方法も実に様々です。
私はブログを通して言葉で神様の働きを証することを主にしていますが、それ以外にも絵で、ダンスで、芸術で、音楽で、神様の働きを証する人もいますし、直接会って話をすることでも証をできます。

しかし、次のような鄭明析先生の御言葉があります。

<行動>は「伝達するうえで最も強力で威力がある方法」だ。
<言葉>は「伝達するうえで二番目に強力な方法」だ。
<文章>は「伝達するうえで最下位の方法」だ。
<文章>にすると実感が湧かない。<言葉>のように強弱の調節ができないからだ。

2015年8月5日 鄭明析牧師の明け方の箴言

この御言葉にあるように、何かを伝える上で一番力があるのは「行動、つまり行い」なのです。
これは今年に入って私がずっとお祈りをし続けた中で悟ったことの1つです。

イエスは彼に言われた、「だれにも話さないように、注意しなさい。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた供え物をささげて、人々に証明しなさい」。

口語訳聖書 マタイによる福音書8章4節

これはイエス様が皮膚病を治された人に対して話した一言です。
これは「イエス様によって治された、神様が働かれた!」と話をすることでは、人々が好奇心を持ってイエス様の所に来るとしてもイエス様を通して神様が働かれたことを信じるのは難しいからです。
これはあるブレスレットを付けたら治った!って広告を見てもなかなか信じられない、というかむしろ怪しいと思う感じと似ています。
それより、モーセが話したように生活することによって、神様を褒め称えることをしなさい、ということをイエス様が話したのです。
そうしてこそ、それを見た人々が「神様が働かれた」ということを知るに至るからです。
結局順理に従って行うことが一番の証なのです。

同じ言葉を書くにしても、ただ頭の中で作られた言葉というのは私自身が書いていても混乱するし、力がありません。
それもまた順理に外れることなのだと思います。

そういうわけで、私はもっと御言葉を行なって体感したことを書いていきたいな、と思ったのでした。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。