おはようございます、satoです。
本日は私の傾向について分析していこうと思います。
今回話すのは「物語に触れるとどうなるか??」と、その対策についてです。
私が小説なり、漫画なり、アニメなりを一度読み出すと「ずっと見られる状態である限り見続ける」癖があります。端的に言えば「一気に読み切ってしまいます」。
これは昔からそうで、大学生の頃パソコンで一度アニメを見始めると、最終回までずっと見続けてしまいます。
とりあえず一話見ると、「次はどうなるんだろ?」「ここからどうなるんだろ?」って一気に見ちゃうんですよね…。
さらに言うと、パソコンとかスマホで見切った後、得た情報を整理するためにさらに色々感想や考察を調べたり、続きがなければ続きを待つために別の漫画なり小説なりを見続けます。
特に自分が気に入った作品はずっと「読みたい」状態がキープされている感じです。
発達傾向の話としては「一つのことに集中してしまう」「衝動に流されてしまう」というところから来ているものだと思われます。
一時期、この傾向によってたくさんの作品に触れていましたが、それでちょっと生活リズムとか心の調子とか信仰とかに悪い影響を与えていました。
そういうこともあり、つい最近までこういった傾向を分かっていたのであえて作品を見ることをしていませんでした。
Twitterで発信されている作品とか、映画「五等分の花嫁∽」とか「スラムダンク」とかそういったものしか見ていません…改めて振り返ると結構見てる…笑
しかし、こういったものは見る時間と場所が限定されるので影響が少なかったのです。
で、つい最近「色々頑張ったしなぁ」というのと「ずっと我慢するのも良くないよなぁ」と思って、前から見たかった作品(以前読んでいたものの続き)を本で買って読んでみることにしたのですが…。
なんと読み始めてから約6時間ぶっ通して読み切ってしまいました…_:(´ཀ`」 ∠):
正確には教会お祈りの時間とか、ご飯の時間とか、そういったところで切って調子を戻していたのですが、それでも一気に読んでしまいました…。
ちなみに読んだのは「小説2冊」です。
作品自体はとても面白く…最終的には「いや、どうすんのこれ???」って感じの感想ですが、色々思うところはありました。
ただ、個人的には「100Pくらいで区切って、じっくり読んでいきたい」と考えていたのです(だいたい1時間くらいを想定)。それくらいが精神に影響を与えない量かな…と。
しかしながら、実際にはほぼ夢中になってしまって、1冊読み終わった段階で、次はどうなる??ちょっと見よう…と思って読んでたらもう1冊読み終わってましたね…。
とまぁ、このように一度スイッチが入ってしまうとずっと読んでしまうというのが私の癖で…。
もちろん、聖書のように「一定量をじっくり読み進める」こともできます。しかし、漫画やアニメとかは「続きが気になる!」ってなるとどんどん見てしまって、いつの間にかキャパオーバーになる…ということが多かったのです。
今回「紙の本」で読んだのは、「電子書籍」だとスイッチが入って読み続ける状態でそのまま続きを買ってしまうからです。ハードルが低くなるともっと大変なことになります…。
(今回は買った2冊が最新作なのでこうはならないですが、電子書籍だったらまた別の小説なり漫画なりを読んでいたと思います…)
次は1冊ずつ買って読むようにします…笑
次の日は「ネットを長く見てた状態」と同じと判定し「ネットに触れないようにする」ことをしています。
それと「神様と聖霊とイエス様」を細かく呼び続けて祈るようにしています。
また、「寝ながら読まない」ようにもしました。
これらは「ネットを見る」時に工夫していることと同じですが、自分の中で「好きなものは心を開きやすい」ことや「こうすると調子を崩す/戻しやすい」ことを知ったことが大きいです。
「読んだ後の自分の状態を正しく認識し、デフォルトの状態に戻す」ということを意識できたのは進歩だと思います。
結局私が一度作品を見始めると終わるまで止まらないのは、私の傾向上仕方ない部分もあるのかなと思います。
だから、私が考えるべきなのは「作品を見る時間を短くすること」より
「いかに作品を長く読まないようにするか(細かく買っておくとか)」
「読んだ後状態をデフォルトに戻すためにどうするか」
「悪影響を与えないようにするには、あるいはもっと神様と近くするためにはどうすればいいか」
だと思います。一番大事なのは「神様への愛や信仰を崩さないこと、より良くすること」なので。
このように、自分の傾向が変えられるなら変える努力をしてもいいと思いますが、自分の傾向や嗜好を受け入れた上で「それを織り込んで自分の生活リズムを崩さないようにする」工夫をするのも一手だと私は考えます。
そのためにも、まずは「自分の心の性質や傾向」を正しく理解することが大事です。
そうすれば「自分が生きるけど、苦しみながら」生活するのでもなく、「自分が楽しいけど生かされない」生活をするのでもなく、「自分も生かされるし、より楽しい」生活ができるのかなと思いました。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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