BLOG

今わからなくても、いつか分かる時が来る。

こんばんは、satoです。

インフルエンザ休養中の私、本日は数学を勉強していました。
一応数学科の院生という立場なので、勉強は日々欠かせません…。
ところで、数学を勉強しているとよくあるのですが…今までよく分からなかった概念を別のテーマの論文を読んでいたら急に分かるということです。
何を言っているのかさっぱりわからないと思うので、もう少し噛み砕いて説明します。

たとえば、私は代数幾何学という分野に強い興味を持っています。
それで代数幾何学の本を読んでいました。その中で「素因子」という概念がある、ということを知りました。
定義を見てみると「余次元1の閉部分多様体」と書いてあって、さらにそこに形式的な和と整数倍が入っていました。
何を書いているのかさっぱりだと思いますが、私も何を書いているのかよく分かりませんでした。
たとえば、余次元1というのは図形を定める方程式の数が1であるということ、閉部分多様体というのが「方程式から定まる図形」であることは理解していました。
しかし、それが何を表しているのかさっぱり分かりませんでした。

ところで、休養中に私は特異点の本を読んでいました。その本は初学者にも分かりやすくその分野の最先端の結果にたどり着けるようになっていました。
その中でこの素因子が使われていたのですが…これを見て「あー、なるほど!」って思いました。
その本に書いてあったのは、一次元の時の話だったのですが、一次元では素因子とは「一点」と同じでした。
ある点に対してその点を零点に持つような方程式がひとつ定まります。
そして、一般に一つの方程式は因数分解によっていくつかの方程式の積になっています。この積と重複度が「和と整数倍」に該当していたのでした。

この本を読んで、私は一気に素因子、そして因子について理解することができました。
正因子とか、カルティエ因子とか色々なものが一気につながりました…。

私はひとつの単語に興味を持ち、それを先にインターネットやら専門的な本でそれについて調べます。
そこに書いてあることは、本当に定義しか書かれていなくて、それがどういう意味なのかは分かりません。
それは、本来その単語を使うような勉強をする過程でもっと具体的な例、基本的なことを学ぶからです。
ところが、私はそれを飛ばして読んでいることのほうが多いです。
それで、別の分野で使われるところとか、初等的な話を聞くと一気に繋がるわけです。

もちろん、一つ一つを丁寧に、基本的なところから学ぶというのはとても大事なことなのです。
しかし、私はどうしてもこの方法だとモチベーションが維持できず、途中で止めるか、何も考えずただ作業になってしまうかのどちらかになります。
それが私の修士時代までの姿でした…。
もともと勉強が嫌いだったので(笑)

私は学校の勉強は嫌いでしたが、数学の教科書は自分から読んでいました。
それは「自分が興味のあるところ」だったからです。このように、私の場合は「自分が興味を持つ」ことがトリガーとなって行動することが多いです。
好きな数学でも、学校で言われるとそこまでやる気にならなかったところを見ると、本当にモチベーションは自分が持たないといけないのだと思います。
最も、今は昔よりモチベーションの維持もできるようになったのですが…。博士での研究内容は自分が一つ一つ理解していったものなので、愛着があるのです。
そう考えると、私が苦手なのは「自分の中で自分のものになっていないことを無理やり繰り返す」ことなのかもしれません。

長々と書きましたが…。
摂理の御言葉もこれと同じ所があります。摂理の御言葉は聖書に書かれているキリスト教の信仰を土台として伝えられています。
なので、本来は聖書をしっかり読んで、キリスト教の信仰を身につけた人が聞くものなのです。
ところが、私は日本人。キリスト教の文化が土台にない国で、聖書を小説の背景とか異能の道具程度にしか認識していなかったところから来ています。
だから、摂理の御言葉を聞いても正直良くわからない…ということは今でもあります。

だけど、ゆっくり復習すれば…。
あるいは、実践をしたなら…。
分からなかったところが、分かるようになる時が必ず来ます。
私も、何回も経験しました。分からなかった聖句がわかり、分からなかった感覚が身につく、その経験を。
だから、最後まで諦めずに、学んでいきたいです。数学も、信仰も。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

関連記事一覧