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「私がしたいこと」

「私がしたいこと」

おはようございます、satoです。

私は、私のしたいことが思うようにできません。
いつも「誰かが許可してくれる」ことを願っています。
たとえば、私が買いたい本があって、それが研究に関わるものだとしてもなかなか買うことが出来ません。
いつの間にか、「本当に買って大丈夫なのだろうか?」と考えるようになっていました。

摂理では「神様の御心通り」という言葉がよく使われます。
神様の考えに合わせて生きることができれば、神様が働きかけてくださるからうまくいく。
神様の考えに反して生きたら思うように行かない。
だから、神様の御心通りになるようにお祈りして皆行います。

だけど、「神様の考え通りやったら上手くいく」という話は本当でしょうか?
こう聞くと「神様の考えに従えばあとは成功間違いなし!」なんて考え、ないでしょうか?
しかし、実際には異なります。神様の考えは私達の考えとは違う高い次元のものなので、実際に行うのは大変です。
少なくとも「委ねる」だけでは上手く出来ません。

例えば、神様が「A社に就職する」ことを願っているとして、自分もそこに就職するとしましょう。
そうしたら、神様がエスカレータ式にA社に内定が出るようにしてくれる…なんてことは滅多にありません。
実際には、ESも書き、面接で何を話すのかも考え、そして実際に就活をしなければなりません。だから、簡単ではありません。
このA社がとてもエリートな会社ならば、それだけの次元を自分が備えなければならないのです。

ただし、自分の力だけでなく、神様の御言葉があり、それを行うことでより上手く出来るようになる助けになることはあります。
ESにしても面接にしても、世間一般では「マニュアル」というものがあります。面接に対してどのように答えたら良いのか、なんて話もあるのです。
ところが、神様は「自分を磨きなさい」と話したり、「深く研究しなさい」と御言葉で話されます。
それに従ってA社のことを深く研究し、また自分を深く掘り下げることによって「自分がA社を通して何をしたいのか」というところが出てきます。
これは私の経験談でもありますが、自分が働く際に「自分の人生で何がしたいのか、何を成し遂げたいのか」を最初に掴んでおくと、あとはそれに合わせて「自分の答え」を話すことが出来ます
そういう人間は自ずと他人とは違う光を放つ人になるわけです。

こうして、面接の練習をすれば最終的には神様の御心が成されます。今ではA社に内定するのが御心だったので、それが成されるわけです。
もしかしたら、それでも駄目な時はあります。それでも、その努力は無駄にならず神様がもっと良いところに送ってくださることもあります。
何れにせよ、神様の御心通り、私たちに良いものが与えられるのです。

そういうわけで、私は「神様の御心通り」のことをするのなら出来ます…と言いたいのですが、実際のところ「誰にも否定されない」ことが出来るのであって、誰かが責任を負ってくれないと動くのが難しいわけです。困った体質です…。
でも、自分の人生の責任を、はたして誰が負えるでしょうか?私は「神様」に負ってもらうしかないのです。
それを深く考え、今自分がすべきことが何なのか考えて行なっていきたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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