摂理人satoが思う宗教のイメージ

ハレルヤ!

2015年3月15日、

『新しくやりなさい』

という主題で御言葉を伝えてくださったこの日。

私たちのブログもリニューアルしました!(≧∇≦)/ハレルヤ!

その記念すべき1記事目が私satoということで…多少緊張していますが(笑)

私も心を新たに記事を書きたいと思います!

 

さてさて、このブログのタイトルも変わって摂理☆日本縦断~宗教いどばたブログ~となりました。

なので、今日はこのタイトルと主日の御言葉の主題にちなんでsatoが摂理に来る前と来た後で新しくなった、宗教のイメージについて書きたいと思います。せっかくなので、絵で

摂理に来る前の宗教のイメージ

 

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摂理に来る前の宗教のイメージ

 

私はずっとマンガを読んでいましたが、そこで出てくる宗教ってだいたい怖いか、危ないか、魔法っぽい感じなんですよね。特にファンタジーでは邪教っぽいのが悪役に出てくる…ので、右端には「魔法陣」です。

でも、それ以上に私が怖いなと感じたのは…まるでそれが正しいと盲目的に信じさせる、というか洗脳されるということと、わけのわからない儀式(的な行為)をやらされるというものでした。さすがに魔法陣が書いてあるような宗教は稀だと思いますが、そうでなかったとしても教祖が正しい/それを否定する者は間違っていると刷り込みをされ、そのまま反社会的なことをやらされる。それが儀式であるかのように。これが怖かったんです。「自分が自分でなくなる」ということが…。

こんなイメージを持っていたので、私は宗教をとても警戒していました。

なので、摂理でBS(Bible Study:聖書について教える御言葉)を聞いていた時からずっともし、ここが宗教だったらどうしよう…という不安が拭えませんでした。これ、摂理だということを知る前ですよ。

BSをどんどん聞き進めていって、私がここが摂理だと知ったときにはさらに不安になりました。

 

あぁ、私はいつ変な儀式をやらされるのだろうか…。もう私は普通の世界には戻れないのか…はぁ。

 

なんて。

そんな風に不安に思いながら、一日一日摂理で過ごす日々を送りました。送りましたが…。

摂理に来た後の宗教のイメージ

 

摂理に来た後の宗教のイメージ

摂理に来た後の宗教のイメージ

摂理に来て1週間、2週間、1ヶ月経ちましたが…。

何もない。

儀式的なことをやらせるどころか、そういう話も出てきませんでした。

宗教に限らず、どんなところでも最初は人を集めるために良くしてくれて、あとから大変なところを見せるとか先輩風を吹かせるというのはどこでもあるところだと思います。しかし、摂理では初めて来た時と変わらないくらい、いや、それ以上に良くしてくれるのです。

「いや、これは絶対後から何かをやらせるためだ…」

そう思いながら1年が過ぎ、2年が過ぎ…気がつけばもう6年が経とうとしていますが。

未だに儀式的な行為、反社会的な行為をさせる気配はありません。

信仰を持っている人がする当たり前のことをしながら、当たり前の生活をしている、ただそれだけでした。

5年が過ぎた辺りで、ようやく気がつき始めました。

あぁ、そうか。普通の宗教はなんか変なことをやらせる場所じゃないんだ。そうじゃなくて、私たちが『良く生きる』ために必要な物だったんだ。

と。

 

摂理に来てから変なことはされませんでしたが、御言葉を通して、人を通して人生を良く生きるため、後悔なくスッキリ生きるための方法をたくさん学びました。それによって、私の小さな悩みも解かれ、できることも増え、私の性格もかなーーーーーり良くなりました。ついでに容姿も(笑)

 

刷り込み、洗脳ということは全くなく、むしろ自分がやってみて『確かに!これはいい!』と思って受け入れることがほとんどでした。というか、無理やりやらされたなんてことはほとんどありません!だって、『納得しないとやらない』のが私でしたから(笑)御言葉を聞いてもわからなければ「わかりません!!嫌です!!」って祈っていたくらいですから(笑)

宗教って…

 

最近できた家系ラーメン「屋ー屋ー屋(Yah-yah-ya)」のラーメン。

最近できた家系ラーメン「屋ー屋ー屋(Yah-yah-ya)」のラーメン。 ちなみに、ご飯は食べ放題(笑) こういうものを食べるくらい、摂理は普通の生活を送っている。

 

宗教って、本当は科学のような見える世界ではなく、見えないもの-たとえば、人生観とか死生観-を知り、人生を生きる目的を学ぶためにあるんだと、私は思います。

摂理に限らず、ほとんどの宗教は誰かが持っていた人生観がいい!と思ってそれを基に生き、人に伝えていく。これしかしていないんじゃないかなって。ただ、日本人は特に考えが違う人を理解できず避ける傾向が強い民族だから、宗教を持っている少数派の人たちが変な目で見られているだけで、悪いことをしていない。

そう、結局のところわからないから変に思われるだけで、わかりさえすればむしろ尊いものだって思うんじゃないでしょうか?現に、ブッダとかニーチェとか、宗教の祖先と言われていた人の言葉を自己啓発として発売した本は人気なわけですしね。

信じているものが違うだけで、皆同じ生活をしている。

それを表現したかったのが、先ほどの「宗教のイメージ」でした。

 

というわけで、これから私は「宗教を信じ、それに基づいている人」として色々情報を発信していきたいと思います。あ、それと北海道の美味しいご飯も(笑)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。