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知ることと悟ることって、本当に違う。

知ることと悟ることって、本当に違う。

こんばんは、satoです。

私は今年2月、あることを目標にしています。それは

自分の価値、御言葉の価値、神様の価値を悟ること

です。

私は過去の経験から、自分に対して「価値を見出すこと」がとても難しかったです。
というより、自分に価値があると言われてもどうしても受け入れることができませんでした。「自分に価値があるなら、どうして…」という感情が出てしまうからです。どうしても、過去との相違が感じられて、うまく受け入れることができませんでした。

また、摂理の御言葉を聞いているのですがどうしても理解できないところ、といいますか、しっくりと来ない部分があり、そのことも価値を感じられない要素の一つなのかな、と考えました。知識では答え走っていますが、どうしても悟りにならない、理解できていない、自分のものにならない感覚がして、本当に喜べなかったのです。

ちなみに、摂理で言う悟りは、仏教とかで使う悟りとはちょっと違います。
これを言葉にするのは難しいのですが、例えて言うと…

知ることは食べ物を見て美味しそうだと思うこと、悟ることは実際に食べて美味しいと感じること

という感じです。

さて、この悟れない段階を抜け出すために果たしてどうしたらいいのか、ずっと考えていたのですが1月末にある御言葉を聞いて構想を受けました。それが、

今まで聞いた御言葉を順序どおり整理してみる

ということでした。初めは「救い」、終わりは「創造目的」の成就に至るようにすべての御言葉を整理して、

どうしてこの御言葉を聞く必要があるのか?

どういう背景で御言葉を伝えられているのか・

一つ一つを納得できるように書いてみました。そうしたところ…今まで知るだけで終わっていた御言葉が、本当に「悟れた」のです!
まだ最初の段階でしたが、今までそうだと思っていたところが間違っていたり、見落としがあったり、疑問に思っていたところがスッキリつながったりということが今日一日だけでも連続して起きていました。
おかげで、自分が今まで悟れなかった「創造目的」をようやく理解できました。本当に嬉しかったし、感謝です!

また、これと同時に長らく存在していた「自分の心の疎外感」についても今までこうだろうと予測していた段階から「本当にそうだった」という悟りに変化しました。そして、このことを通して、自分が今摂理にいることの価値が少しずつ、でも確かに感じられるようになりました!

なんというか、賛美するだけでも涙、祈るだけでも涙、本当に喜びを噛み締めながら今日の礼拝を捧げられました。
本当に、本当に、嬉しかったです。

この辺りの悟りについては、もう少し整理できたら書いてみたいと思います。

数学でもそうなんですが、今まで知識として入れていた情報を整理できたときに大きく理解、悟りに繋がることが多かったです。それも、不思議な事ですが全く違うことをしているときに起こるんですよね。
たとえば、一つの数学と関連しない作業が終わった後、一息ついたときに急に

「あ、この数式って、こういう意味だ」

という悟りが来るんです。特に最近は、ある一つの分野の「哲学」が理解できて、その哲学によってすべてが成り立っている、ということを急に悟りました。これに気づいた時私は感激を通り越して恍惚に浸りました(笑)
しかし、今日の創造目的の悟り、自分の心に関する悟りはその比でなく、まるで頂上からすべてを見下ろした時の爽快感と、喜びと、楽しみが一辺に来た!という状態でした(笑)

いろいろ書きましたが、知ることと悟ることは、本当に大きな差があります。
本当に、違うのです。
そして悟りに至るためには、必ず自分が何かしら行なわなければなりません。それも結構極的に。
極的に行なうのは大変ですが、極に至ったときに来る喜びと祝福は、比較になりません。
だから、最後まで諦めずに「悟り」に至るように頑張りましょう!

私も続けて御言葉を整理して、もっと完全に御言葉の価値と自分の価値を悟れるように頑張ります!

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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