形象、イメージ、そして数学。

おはようございます、satoです。

今週摂理で伝えられた御言葉の中でこんな話がありました。

<水石>を見る時も、「特性」を見て「形象」が分かるようになります。

たとえば<男の形象の水石>を探すなら、男のイメージがあるのかを見て気づくべきであって、まるで「彫刻をしたような形象」があってのみ、「この石は男の形象だな」と言うなら、そのような石はありません。-鄭明析先生の主日礼拝の御言葉「時間がたくさんあっても、実践してみたら少ない。神様の時はすべて合う。」より

何かの形象を見る時にはその特性から「それがイメージできること」が核心です。

たとえば、顔の形も「目の穴2つ、出っ張っている鼻、口」が見えるとそれだけで形象がイメージできますよね。

∵←これみたいに

「手の形象」をしていると聞くと、人々は「手の形」をしていると思います。
しかし、手は「5本の指」が伸びています。それと同じように「5本伸びている」形象を見たら手だとイメージができます。

このように、何かを見るときには「共通点、特性」を見ることがポイントなのですが、実はこれ、数学の研究にはよく出てくる考え方なのです。
「アナロジー」というもので、「AとBは違う対象だけど同じようなことが起こる時、Aと同じような理論がBでも構築できる」というふうに起こります。

この御言葉の話に近い話だと、幾何学がそうですね。
たとえば、三角形の相似。三角形の相似も「3組の辺の比がそれぞれ等しい」と相似とみなせます。
大きさは違いますが、「似ている」わけです。それを「相似」として同じものとみなします。
こうやると、三角形を「3辺の比」で仲間分けできます。相似なものを一つのグループにしてしまうんですね。
ちなみに、この全体について考える時、専門用語で「モジュライ」というものが出てきます。

さっきの顔の形みたいに「穴の数」で同じかどうかを考えるものもあります。専門用語で「ホモロジー」とか「ホモトピー」とか言います。
この(コ)ホモロジーを求める際に様々な道具を使うのですが、それらは共通した性質が成り立っています。
そこで、Grothendieckは「図形にはmotifと呼ばれる特性がある」と考え、それを発展させていきました。

このように、「特性を見て形象が分かる」というのは幾何学、そして数学全般における重要な指針なのです。
ところで、今の「三辺の比」とか「穴の数」のように、数が特性を調べる大切な役割を果たします。
言い換えると、数が「図形の特性」を表しているわけです。そういう意味で数は「象徴」、シンボルだといえます。
そう、数というのは必ず何かしらの「象徴」になっているんです。

だから、数の背後にある「実体」を見ることが必要なのです。
特に、何かしらの数が一致している時、そこには必ず「法則」があるのです。
それが数学研究の信念とも言えます。そんな感じで、日々の数を見てみるとまた違った何かを見出すことができるかもしれません。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。