私の「葬るべき」もの

おはようございます、satoです。

今年もあと3ヶ月。残りが少なくなってきました。
この時、私が「葬り去るべきもの」も少しずつ見えてきました。

これまで頑なで頑固だった異性感情、神様に対する不信感、霊に対する感覚の無さなどが少しずつ解かれて前より丈夫になってきました。
以前より、神様との愛が通じやすくなっているのは確かです。

その一方で、時たま見せてくるのが自己否定感と承認欲求です。
特に人に認めてもらおう、人とつながっていたい、という感情が強くなることがたまにあります。

自己否定感、これは「神様の愛」を知らない日本人に特に多い傾向にあるのですが、自分はありのままの自分でいいという感覚がまだ持てずにいます。
時々自信を持っていても、ふと「人と比べて優位に立っているか」とか「人と比べる」自分がいるのです。
そして高慢になる自分を諌めるためにいやいや自分は大したことがない、と考えてむしろ自分を卑下してしまう、ということが起こりがちです。

そして、これらの感情が最も強く出てくるのが「人から頼まれたことを失敗した時」です。

たとえば、この間バイトである簡単なことを頼まれました。
ところが、私はそのことを上手くできませんでした。何か失敗してしまったのです。
それを教えてもらった時、私は「あー…」とショックを受けていました。
それを見ていた生徒が「そんなに大きな失敗じゃないのに、リアクションが大きいですね」と言われました。

確かに、私の失敗したことは大したことではないのですが、しかし、何故か私は強く落ち込んでいました。
その時の感情はこんな仕事を失敗する私なんて役立たずだ…というものでした。

私は、失敗する自分を「役に立たない」存在と考えがちです。どうしても「仕事で役に立つ」という思考から抜け出せずにいます。
この「仕事人間」というのが私の問題で…(´・ω:;.:…

根っこにあるものが未だに掴めていないところもありますが、早いこと葬って次の段階に行きたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。